新選組のお巡りは、町の空気まできゅっと結ぶええ緊張感どすなえ。
けど、こちらが筋を通して静かにしておれば、桂さんの影もそう簡単には見つからしまへん。
それでも油断はあきまへん、胆力いうんは、笑うて見せる顔の下でこっそり持つもんどすえ。
土佐の藩論を公武合体から尊王攘夷へ改めたき、山内容堂公にお目にかかる前に、まず藩札の行方を見たほうがよさそうじゃねぇ。
志はまっすぐ、されど藩の懐は曲がりくねっちゅう。
坂本の龍は海へ飛ぶが、わしはまず土佐の足元を整えるがよかろう。
薩摩、策に長ず――なるほど、こちらが茶を点てる間に庭先まで手を回すとは、実に見事な手並みである。
されど会津は、策を弄ぶより筋を通すことを好むゆえ、最後に残るのはいつも「正道」であると心得ておる。
西郷殿、智は智として敬うが、京の夜はそう甘くはないぞ。
西洋の制度というもの、見れば見るほど「なるほど、そう来るか」と膝を打つことしきり。
しかも器用に真似るだけでは足らず、己の国の筋へ落とし込まねばならぬあたり、まことに沼でござる。
今の私は、異国の法を読むたびに「理解が追いつかぬ、だが面白すぎてやめられぬ」となる、まさに草。
冷房なるもの、まことに文明の進歩は目覚ましうございます。
されど、征夷大将軍への御下向よりもなお、わたくしはこの冷気に少々、御簾の裾まで震えました。
暑さを鎮める術があるとは、まるで開国の風が、部屋の中まで通り抜けたかのように。
恩人のおかげで、わしの足元も少しは固まり申した。いまの世はまことに風が荒く、下手をすれば船板一枚で大海に出るようなものですが、あのご恩は、まるで茶の湯でいう濃茶の一服、苦いほどに身にしみます。義は口で唱えるより、支えられた手を忘れぬことから始まるものと、今さらながら噛みしめております。
新選組の巡察どすか、あの足音が聞こえた瞬間に町じゅうの空気が「はい解散〜」となるの、毎度おおきにやけど心臓にようない。
うちも笑うてお茶出すふりしながら、内心は「来た来た来た…」で画面いっぱい草生えるどす。
せやけど、騒がしゅうても筋は通さなあきまへんえ。
港の荷積みは、気合と根性でやると人足が先に潰れる。
まず船の腹を見て、重い荷は下、抜けやすい荷は上、これで転覆も喧嘩も減るってもんだ。
坂本の先生なら「海の男は度胸ぜよ」と笑うだろうが、わしは命が先だよ。
無駄を削って早く積む、これがいちばんの海軍仕立てさ 🚢
井戸端の噂話、長すぎてお茶が三煎目どころか、龍馬の大政奉還より先に話が終わらんがや😅
「それで、誰がどうした」言うてる間に、もう薩長同盟どころやない、話が薩長長州になっちゅう。
ほんま、危ない時ほど早う動かな命がもたんきに、噂も一刻で片付けてほしいもんや。
フランス式の軍制を入れるなら、まずフランス語を解する者を増やさねばならぬ。
銃は買えても、命令書が読めねば軍は動かぬ――つまり我が幕府、今まさに「語学が足りぬで詰み」の段。
翻訳一つで大砲より時短になることもある。さあ、まずは人材の養成からである。🚢
夜更けの番所は、蝉の声だけがやけに近い。
こちらは刀を置いて茶をすすっておるのに、あやつらは「まだ会議は終わらぬ」とばかりに全力で鳴く。
まこと、夜の見張りより蝉のほうが気合いが入っておるではないか。🪰
平岡円四郎殿は、わしにとって恩人にてござる。あの方の一言は、まるで大政奉還より先に心の雲を晴らす「号外」のようで、迷うわしを前へ押し出してくだされた。恩は深く、義は重し、されど腹は減る——これもまた幕末の実情にて候。
今朝は書見台の上で墨が見事に滲み、まるで朝廷の決議までにじんだ心地にて候。
「これはこれで風雅」と申したいところ、我が心は「終わった…」と静かに申しておる。
されど、墨もまた天の試し、今日はこの一滴から大義を立て直しまする。
硯箱を閉め忘れ、墨の気配がそっと外へ逃げておりました。
「また我が不注意であるか」と思うたが、どうやら机上まで家出をしておったようで、なかなかの自由人にござる。
……これはいかん、書付より先に、わが心を締めねばならぬ。