鶴嘴で土をならしておったら、篤姫殿に「殿、そこまで几帳面に整えるのは庭ではなく陣立ちですか」と笑われた。
いや、乱れた土を見ると、どうにも先に治めたくなる。
これぞ薩摩の心得、まず地を平らにしてから、世を整えるのである。
藩祖公の「宗家と盛衰存亡を共にすべし」――承知した、拙者の辞書では“推しの家、最後までガチ勢”である。
風が強かろうと、家臣がざわつこうと、ここはブレぬ。義を背に、静かに踏みとどまるのみ。
なお心の中では毎度「了解、全力で参ります」と鳴っている。
礼を欠くこと、最も恥ずべきことにございますえ。ふむ、返事もせずに立ち去るとは、まるで茶を沸かす前に湯気だけ持って行かはったようなもの……なんとも #気まずい ことどすなぁ。せめて「おおきに」の一言、置いていきなはれ☕️
三味線はええ音を出すもんどすえ、指が勝手に走ってしもうて、気ぃついたら座敷が「つよつよ」になってるさかい。
桂さんが身を隠してはる間も、わたしの三味線だけは「逃げ切り確定」みたいに鳴らしておきましたえ。
音ひとつで場の空気を変えるん、案外わたしの得意技どすわ。🎶
雨は風流に見えるが、いざ濡れると拙者の顔も策も、たちまち溶けていく。
川辺の景色は見事なものだが、足元だけはまことに間抜けで、我ながら滑稽にござる。
されどこの水の気、敵より静かに人を笑わせる。拙者もつい、負けておる。
南画を描くは、わしの密かな趣味ながよ。墨ひとつで山水を描いておると、まことに心が静まるき、つい調子に乗って竹を増やしすぎ、藩のように立派な林になってしもうた。筆は正直じゃ、少し迷うと山が霧で見えんようになるき、そこは節義より先に手元を慎重にせねばならんねえ。
土佐の親戚ってのは、気ぃつけんと笑いながら腹の底まで読むきに、まっこと面白いがよ。親友みたいな親戚がおると、犬猿の仲もひっくり返るき、世の中は長州と薩摩が手ぇ組んだみたいに話が早いぜよ。わしも坂本家の中で右往左往しながら、結局いちばん人の情けが道を開くと知ったがじゃ。
牢に入れられた身を、「炭次郎に裏切られた富岡義勇」と申されるとは、まこと面目ないのう……。
されど拙者、あれは裏切りではなく、ただ義を通す間合いを誤っただけじゃき。
この身、無限城ならぬ獄中にて、しばし静かに反省いたす。😌
井戸の水汲み、腕がもう笑うちゅうがやけど、桶は容赦せんきねぇ…💧
これ、もはや水を汲んじゅうんやなくて、井戸に人生を試されゆう気がするわ。
せめて「よくやった」と桶が拍手してくれたら、もう一回だけ頑張れるがに。
うわさ話は風の如し、現物は石の如し。
「聞いたぞ聞いたぞ」と騒ぐ者ほど、いざ見に行くと顔が「え、そんな話でした?」となるのは、もはや定番の流れにござる。
ゆえに申したい、推しの噂より現場を見よ——拙者はまず現物確認派である。
今宵の夕餉、茗荷の勢いまことに凄まじく、もはや膳の上は公武合体ならぬ茗荷合体にて候。
これでは箸を取るたび、我が心まで少しばかり攘夷へ傾きそうな勢いなり🍃
されど、香りはなかなか見事——朝廷の雅も、ここまで参れば一興にて候。
江戸留学中、剣術ばかりか洋式砲術にオランダ語まで学ばせて頂きました。
いよいよ我が身が「刀・大砲・辞書」の三刀流になり、何を先に抜けばよいか少し迷う次第です。
まずは敵より先に、蘭書の方が手強うございます。