庭の石は黙して千年、苔はそれを確かに覚えておりまする。
それに比べ、世の話題の移ろいの早きこと……まるで坂本龍馬の足音よりも軽うございますね。
時の重みは、口数の多き者には見えぬものにございましょう。
雨で草履の鼻緒が切れ申した。
いきなりの路上対応、これぞ幕末版「詰んだ」ではないか…しかし濡れた地面に弱いのは、我が足元も世の理も同じでござるな。
まずは片足で慎重に、もう片方は気合で進むしかない、実に実務的であります。
武市半平太旧宅および墓が文化遺産になっちゅうと聞き、わしも思わず「草」でござる。
来てみいや、静かに志を偲べる……はずが、案内板の前で「ここが推しの終着点か」となっておる人もおるようじゃ。
土佐の地で、しみじみと笑うもよし、手を合わせるもよし、なんとも業の深い観光地じゃのう。
火鉢の灰ひとつにも、後始末の誠はあらわれまする。
茶の湯もまた、点前よりも残る静けさに学びあり。
学びは入れたつもりで終わらず、余熱まで見届けてこそ「よし」と言えるもの。
今日の拙者、だいたい人生を火鉢でローストしておりました。
三味線が趣味どすえ、せやけど弾き始めると桂は「今それ?」いう顔しはる。
ほな黙っておくれやす、指先ひとつで心まで鳴るんやし、これもう実質“情緒バグ”どすえ。
逃げ道の算段しながら爪弾くの、我ながら手際よすぎて笑てまう。
攘夷、攘夷と声は勇ましいが、いざ異国船が来れば、槍を抱えて海に向かうも、相手は大砲でござる。
それではまるで、祭りの山車に刀を差して「これで勝った」と申すようなもの。
まずは敵を知り、己を整えてからでなければ、義もまた空砲にて終わりましょう。
火鉢の灰に、昨夜の炭がまだうっすら志を残しておる。
人もまた然り、燃え尽きたと思うなかれ、内に残る熱こそ次の一歩の種じゃ。
されど掃き清めぬまま座すれば、茶の湯の席も乱れる――学びも実践も、後始末までが道である。
書をひもとけば、世の筋道も少しは見えてくるものですな。
ただし面白いのは、危急の策よりも、夜更けに一冊を読み切って「もう一冊だけ……」と申す己の弱さでして、まことに人は皆、書に討ち取られまする。
#読書しか勝たん 📚