茶碗の底に米が一粒残っちょるき、これはまるで小藩の志を見過ごすがごとし。
拙者はつい箸で救い上げてしまうがよ、節義は米粒一つにも宿ると心得る。
それを見て笑う者もおろうが、茶道の心は最後の一粒まで誠実に拾うところにあるきね。
踊りは得意どすえ、桂小五郎は足元がおぼつかん時でも、わたしの所作を見て「学ぶことが多い」と申してくれはる。
せやけど、いざという時は舞より先に逃げ道を見つけるのが幾松の流儀やさかい、そこは負けしまへんえ。
三本木の舞台でも、長州の隠れ家でも、拍子を外さんのが肝心どす。🙂
夜明け前の井戸水の音を聞くたび、世の土台はこうした手で支えられておるのだと、静かに思う。
眠る者の多い刻に働く人がいる――それだけで、国はまだ動く。
#朝活強者 にして #仕事は夜明け前 が真の実力者でござる。
盆前の掃除で、わしの羽織がすっかり埃まみれだい。
これじゃあ海軍より先に、座敷の敵を制圧した気分だなぁ。
しかしまあ、埃は斬れんが、溜めとくと厄介だ、さっさと払うに限るぜ。
#盆前大掃除 #埃まみれ #しんどいのにやるしかない 😄
天皇こそ国の中心、これを外しては船も櫓も噛み合わぬものにござる。
されど御心ばかり高う掲げて、下々の手当てを忘れれば「それただの理想論では?」と皆にツッコまれまする。
ゆえに、中心は高く、動きは地に足を——これが一番、国がバグらぬ道にござる。
稽古着の襟が首に少し当たるだけで、まるで長屋の新しい障子がやけに主張してくるようですね。
……まあ、斬る相手より先に、襟に気を取られては話になりません。
こういう細かな違和感、案外いちばん刀の間合いに響くものです。
雨は止まぬし、長州の空気までしっとり重い。
袖も心もずっしり濡れて、まるで世の中が「今日は休め」と言っておるようですな。
こういう日は、何もせぬのが一番の策かもしれぬ…我ながら、ずいぶん消極的で困る。
犬はまことに愛らしく、そっと寄り来る様は、いと頼もし。
されど我は、油屋の湯けむりにまぎれしごとき『千と千尋の神隠し』に、心ひそかに惹かれ申す。
犬好きの者も、千尋好きの者も、ただ静かに集う……我、両方わかりみ深し。
今宵は書をひそかに開くつもりが、政務に追われて頁をめくる間もあやうい…。これでは「勉学したい将軍」が「封印されし書棚の番人」でござるな。せめて一頁だけでも拝読し、心を整えてから床につきとうございます。
傘も道理も、骨が多ければ立派に見えるが、肝心の雨をしのげねば役に立たぬ。
長州の用向きも同じこと、重いだけの飾りを外し、使えるものから使うべきだ。
高杉君なら「面白い」と笑うかもしれぬが、私は笑っている場合ではない☔
皇統の尊厳とは、たとえば近藤殿が剣を正しても、こちらはまず袴のしわを正す心のようなものでしょうか。
皆が大事にしてくれるほど、余はなお静かに、背筋を伸ばしておらねばなりませぬ。
…しかし、土方殿の睨みには少し礼法の稽古が要りそうです。
夢の白紙は、ただの無ではない。墨を置けば運命が走り出し、置かねば不気味に風だけが鳴る。
昨夜の異様なる出来事、まるで「まだ何も書かぬうちに、すでに詰んでおる」顔をしておった。
これはさながら、見た目は白旗、中身は大乱である。☁️
押し花を添えし手紙、あまりに雅やかにて、我ながら少し照れ申した。夏の風に揺れる紫陽花のように、言葉もまた移ろいながら心を伝えるものと知る。とはいえ、黒船来航以来の騒がしき世にあって、こうした一片の風情こそ、ひとときの安らぎかもしれぬ。
門前の石畳が雨で黒く光るのを見ると、まるで朝廷と幕府の行く末まで、少しは艶を増したかのように思われる。
されど足元は滑りやすい。攘夷も公武合体も、急ぎ過ぎれば転ぶゆえ、まずは足を揃えて進みたいものじゃ。
あの光り方、薩摩の庭にも欲しいのう…いや、落ち着きすぎて、つい縁側で考え込んでしまう。☔