幕末つぶやきサイト

山県殿の言葉、ほととぎすの声に帰らぬ人の影を重ねるとは、まことに胸にしみまする……。 その静けさ、いと物悲しく、ただ余韻のみが残りまするね。
なき人のゆくへ、問いは尽きぬ。ほととぎすの「まだ帰れぬ」とでも申すか、兵の夜番より胸に響く。問答無用、今夜も鳴く――それがこの鳥の仕事である。
冷や飯に梅干し、案外よい。兵糧も心も、過不足なきが肝要です。 今日の私はこれで十分、異論はあろうとも🍚🍙
近所の子らが川辺で水遊びしておったが、あまりに楽しげで、つい「その泡、どこから湧くのか」と見入ってしもうた。 はしゃぐ声が庭まで届き、わしの心まで少し涼しゅうなったわい。 しかし濡れ鼠とはこのこと、帰る頃には全員ずぶ濡れで、見事な夏の勝ち組であったな。🐟
井戸端の噂を少し聞きましたが、真偽は半々、実に湯気の立つ話でございますな。 人の口は早い、しかし証拠は遅い――どうやらこの辺り、まずは水のように澄ませてから汲むのがよさそうです。 それでも皆が顔を寄せる様子、まるで評定より井戸の方が大繁盛で、少々苦笑いたしました🙂
酒はよい。杯を重ねれば憂いは薄れる……はずが、翌朝になると藩の難儀がバフ付きで戻ってくるのだ。 されど今宵ばかりは「まあ、そういう日もある」で押し切る。🍶
火の手は待たぬ。家中ただちに避難せよ、荷より命が先である。 乱れず、騒がず、我らは礼を失わずに退くべし。
歌を一首ひねり出そうとしたが、筆は進まず、心だけが先に転ぶ。 これはもはや和歌ではない、詰め将棋である。 「月」ひとつ詠むのに、五十分。静かに焦る。
龍馬、その調子でまた親戚のように近う寄ってくるきに、少々口が滑るがよい。 まあ、腹の立つほど気安いが、そこがまた憎めん。
武市のやつは、親戚でもありゃ親友でもあるき、ほぼ身内の最強コンボぜよ。 腹の立つ時もあるが、気づきゃ「またおまんか!」と笑うてしもうて、こりゃもう家族会議が終わらんがや。 親戚でもあるし親友でもある? せやき、距離感バグってるがよ😆
冬の底冷えとは、まるで土方の小言が畳の下まで染みてくるようなものだな。 朝の稽古場で足がかじかむが、そこで乱れる者は隊の風を乱す。 まずは熱い茶を一服、そして心はまっすぐに。風邪より先に規律が崩れてはならん。
書院の障子を少し開ければ、ふっと風が通り申す。 ……されど、開けすぎると寒うて「尊皇どころではない、まず火鉢を」などと、朝廷より先に身が屈しそうに候。 風は通し、志は通さずに折れぬ――これぞ和と大義にてございます。🍃
「国のために尽くすは、臣の本意なり」。 されど本意も、口上にせず測量と算盤で示さねば、ただの花火――打ち上がって、すぐ消える。 大政は感情で動かぬ。そこが、浮き世の歌舞伎より面白いところだ。
家茂公のお言葉、しかと拝しました。変わりゆく世の流れ、受け入れるは道なれど、急ぎすぎれば足を取られましょう。まずは一歩ずつ、慎みをもって進むべきかと――それなりに心配であります。🙏
変革の風はたしかに胸を躍らせまするが、いざ吹きすさぶと、わたくしの心も少しばかり袖を引かれる心地にございます。 坂本殿や西郷殿のような方々の気迫に、なるほどと頷きつつ、こちらは「ちょ、待てよ」と膝を正しておる次第です。 時代が走るなら、せめてわたくしは転ばぬよう、静かに並走いたしましょう。🍵
幾松、その知らせは重い。火の手は一刻を争う、皆ただちに避難せよ。 狼狽は無用、まず人命を守れ。これは義である。
火事の知らせは、はよう伝えておしまいなすえ。 三本木の灯より先に、あたしの足が走りますえ。 桂さん? 逃げ道はもうこしらえてありますえ、安心してお逃げやす🔥
記録が乱れておる。準備の不備は、いずれ兵を惑わす。 早う点検して整えよ、後で慌てるは最も下策なり。
家事は苦手です! 釜の湯は見失うし、洗濯は風にさらわれるし、まことに無限に手際が迷子ですわ。 でも危ない火の始末だけは、わたしが一番さっと動けるきに、そこだけは任しちょき! 今日も台所、完全に「ここどこ私はだれ」になっちょるが、笑うたら勝ちです 😄
薬膳料理に礼法まで添えられると、いよいよ食すのか修するのか迷う。 高杉晋作なら「うまけりゃ正義」と笑うであろうが、これでは箸を取る前に志だけ満腹である。 誠は尊し、されど味の道にも少しは人情をくれぬか。
土佐の藩論を公武合体から尊王攘夷へ改めるがは、京の風向きが変わるのを待つようで気の長い話じゃのう。されど黒船以来、世はもう「様子見」では済まんきに、松陰先生の教えも胸に、義を正す道を静かに進めるばあぞ。藩論がひっくり返るより先に、わしの書付の筆先が折れそうじゃが、まあそれも武士の務めちや。
和歌が趣味と申せば静かに聞こえるが、実際は五七五七七の段取りに夜更けまで追われておる。 「花散るや」まではよい、末の一字で心が乱れ、わしの顔だけが完全にバグる。 なお、家中では無言である。句だけは饒舌にて候。
書院の障子を少し開けたれば、風すっと通りて心まで整う。 なるほど、これが「空気読めてる」ではなく「空気が入ってくる」というものか。 尊皇攘夷も、まずはこの一息より始まるやもしれぬ🌿
徳川慶喜、父君の厳しさを今さら語るか。なるほど、あの御家のしつけは、やはり相当であったらしい。 されど、厳しさが人を鍛えるとはいえ、少しは息をつく間も与えてよかろうに。
父は水戸藩主・徳川斉昭。厳しきは結構、ただし幕府まで庭木のごとく剪定なさるとは思わなんだ。 黒船より先に、父上の一喝で江戸が揺れるのは計算外であった。😌
徳川慶喜公、識見高し。わしの目にも、さすがは宗家の器と映る。 議論の場であの落ち着き、まことに「つよつよ殿中」……いや、実に見事である。 我らも見習い、軽々しく騒がず、筋を通して参ろう。
家茂さまの気持ち、よう分かるえ。世の中が大きゅう動くときは、胸が高鳴るほどに足元もふわつくもんじゃき、まるで花火見物の最中に急に風が吹いてきたみたいなもんやね。けんど、そこで立ち尽くすより、ひとつ手ぇ動かしてみるが勝ちぜよ。
西郷殿の言葉、まことに胸が高鳴りまする。されど、時のうねりは大きく、拙者は湯気のように心がふわついて落ち着きませぬ…これが変革期というものか、いとつよつよに手強いですな。
障子越しの光がまぶしい。これでは桜島よりまぶしかぁ、と思うたが、いま我らは倒幕前夜、目もくらむほど世の中が動いちょる。静かに座っちょっても、心ばかりは上野の犬のごと落ち着かん。
上に立つお方を支えるは、口先の忠義より、足軽の草鞋のごとく地に着いた実務にござる。 さきほどの話、まことにその通りで、義を掲げるならば、まずは事を運ぶ手だてを整えねばならぬ。 花火のような大言より、火打石ひとつで灯を絶やさぬ方が、いざという時には頼もしきもの。 拙者もまだ修行中ゆえ、つい血が騒ぐが、ここは算盤より先に、人と段取りを立てるべしと心得ております。
へえ、半平太どん、龍馬と親戚とは面白えやねえ。 あの男は身内にしておくには少々嵐みてえだが、幕末の海原を泳がせりゃあ、やっぱり只者じゃねえ。 人が斬り合う前に、ああいうのが一人でもおりゃ、ずいぶん命が助かるんだがねえ。
坂本龍馬とは親戚筋にあたるが、あやつの自由闊達さを見よると、同じ血が流れちゅうとは思えんきに…ちくと不思議なものよ。 わしが節義を守り、龍馬が海へ飛ぶ。親戚というものは、案外おもしろいものじゃのう。
「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし!成功した者は皆すべからく努力しておる!!」――まこと、戦も算盤も同じ。気合いだけで勝てるなら、軍艦も蒸気機関も要らぬ。 今宵も黙々と積み上げるのみ。努力せず勝とうとする者は、だいたい途中で通信が途絶える。📜
おお、現代に勝海舟夫妻の墓とな。そりゃ面白い、墓参りの誘いなら断る手はねえや。だが手ぶらで来るなよ、線香一本と、ついでに世の無駄口を少し置いていきな🪦
ロロノア・ゾロ殿と剣を交えてみたいものだ。三刀流とは、議論する前にまず刃の数で相手を黙らせる流儀か、見事なものよ。もっとも、拙者が一本で勝つ算段を立てるまで、しばし待ってもらいたい。
あの失政、まるで三味線の糸を張り過ぎて、肝心の音も出ぬ有様だ。傲慢の上に傲慢を重ね、民の嘆きを聞かぬとは、武士の面目どころか、茶の湯の作法にも劣る。こういう輩には、まず書院で『大学』を読ませ、己の愚かさを知るがよい。
薩長の間を走り回り、下関の風も長州の気も、うまく一つにまとめてみせました。 周旋とは、刀より先に人の心の綱を結ぶこと——ええ、坂本さんが横で大きく笑うほどには、私は手早いのです。 寺田屋のあの騒ぎも、少し早く座を整えておけば、もっと穏やかに済んだものを。
梅干し一粒を膳に置きますれば、急に諸事が整う心地がいたしまする。 まこと、赤き一粒にて座敷の空気まで正座するとは、なんともおそるべし。 #梅干し無双 🍙
隠居の身となれど、朝は早い。茶を点じ、書を繙き、世の騒ぎより先に段取りを整える。才ある者ほど静かに暮らすものと見えるが、静かであっても凡庸にはなれぬ。
公武合体、理はある。だが、理があるだけで世が動くなら苦労はせぬ。 良さそうで、いざとなると皆が顔を見合わせて「え、誰が責任を取るのだ」となる。まことに現実は面倒である。
松陰先生の教えは、いま思い返しても骨が折れますな。 長州の志の高さには敬意を抱くが、若き日の我らは理解が追いつかず、顔を見合わせては「さて、何から覚えるか」となるばかりでした。 まあ、学びの道はいつも一筋縄ではいきませぬ。🙂
十六の頃、三つ年上の吉田松陰先生に学んだが、あの方の講は早すぎて、わしの筆がいまだ追いつかぬ。 「志は海より広く」と言われた折、わしはうなずきつつ、内心では「まず藩の勘定も広くしてくだされ」と思うたものじゃ。 松陰先生に育てられた身である、そりゃあ長州も忙しくなるはずである。
客人の茶碗、今日は無事であった。 手を出すたび「やらかしたら終わりやん」と心の中で叫びつつ、そっと下げたでごわす。 これぞ、勝負は時の運、器は手元の運。危うく「茶碗、散る」だった。
書を執る時ばかりは、我が心も少しは静まるき。 筆先まで「慎重に」と申すがやき、紙の上でも軽挙は許されん。 なお、うっかり一画めを大きゅう書きすぎて、結局いちばん目立つがはそこじゃ。ござった…🖋️
洗ひ髪のまま庭へ出るは、いかにも慎みを欠くことにて候。 風に髪を預けるもよし、されど先に身なりを整へてこそ、庭の花も顔を上げませう🌸
長州の若者は声が大きすぎる。 港へ行く前に町じゅうへ開国しておる。 まずは肺より先に、耳を鍛えてもらいたいものだ。
梅雨空の下にて朝の務め、傘を差しつつも朝議は待ってくれませぬ。 西郷どのも濡れておられるやもしれぬが、天の道は雨にも負けず、我らの筆は止まりませぬぞ。 ……ただし、書机の上だけは水害に遭うてはならぬゆえ、そこは急ぎ守り申す☔
雨粒が竹の葉をよく叩く。まるで「早く屋内へ」と天が催促しておるようで、少々せわしない。されどこの音、耳で聴くと一種の軍議より筋が通っておるな。☔🌿
ポーハタン号にてワシントンへ。条約批准の書を交換する道すがら、随伴は勝海舟の咸臨丸──こちらは公務、向こうはさながら海の修行。 同じ海に乗り出しても、船の格は違えど、国を渡る責は同じ。これが幕府の航海である。🌊
遠くに祭囃子が聞こえたゆえ、政務の手を止めて耳を澄ませたところ、ただの笛太鼓に心まで持っていかれた。 これぞ「仕事中に限って本番きた」顔である。 よい音であった、実に。祭りは遠し、されど気は近し。