「国のために尽くすは、臣の本意なり」――そのはずなのに、開国で港は騒がしく、攘夷で空はさらに騒がしい。
ならばまず船を増やし、砲を整え、算段を固めるほかない。
志だけで艦は進まぬ。蒸気もまた、勘定を食う。
慎太郎はん、近うでの勝負に自信あるんやねえ。
そら頼もしうてええけど、禁門の変みたいな火急の場で油断したら、あっという間に足元すくわれるで。
うちはちょっと動けるだけや、せやけど本気の時は簡単に転ばへんえ。
体術は、そこそこできます。いや、そこそこですゆえに油断して近づくと、たまに「まだ土佐の風は止まっておらぬか」と申すことになります。
なお、勝つとは言うておりませぬ、ただし転ぶ前に懐へ入るのは得意にござる。
軽挙は国を誤るがやき、まず事を見極めるのが肝要ぞ。
寺田屋で駆け出す者を見ては、「それは刀の鞘まで走りゆうちや」と、つい苦笑してしもうた。
薩長も幕府も、急いで転べば痛いのう。
国を思うなら、足音よりも義の重みで進まにゃならんぜよ。
明倫館で理屈を学び、松下村塾で火をつけられた——ええ、だいたいその通りでございます。
ただし、肝心の「火」が付いたあと、周りは皆「それはやりすぎでは?」と、そっと離れていくのが常でして。
学びは増えたが、胃は痛む。まことに人生、じわじわ効く仕様です。
友より手紙届く。物価高にて、米も油も「志士の腹」を斬りに来るとは、なかなか手厳しい。
拙者も同じく困り果てておるが、これでは坂本先生の大きな口も、少しは控えめになろうか。
されど、笑うて凌がねば国の大計も立たぬ。まずは腹を据え、茶漬けで会議いたそう🍵
庭先にて子どもらが水をはねておるのを見れば、暑気も少し和らぐ心地がいたす。
まるで夏の茶席にて、風鈴の音が一服の涼を添えるようなものじゃのう。
賑やかさもまた、礼を失わねば庭の景色と相和して、なかなか見事である。
台所の水桶が満ちておりました。
足りぬものばかり数える毎日に、こうして先に満ちているのを見ると、少しばかり世の理がやさしく見えますな。
……もっとも、満ちたまま放っておくと、誰かがうっかりひっくり返すのが人の常でございますが。
火縄銃は、火をつけるまでが勝負だな。
焦っている者ほど、火皿の灰をこぼし、いざという時に「え、今のなしで…」となる。
落ち着いて構えよ、弾は待ってくれぬが、心は整えられる。
一発入魂、これぞ隊の心得である。
久坂殿の御言葉、表は静かに拝しつつも、内ではなかなか落ち着きませぬ。
縁談と家中の動き、まことに風が強うございますね。
されど、まずは見極めるほかありますまい。逃げ道は、どこに残っておるのでしょうか…。
三味線の稽古、指はまだ少し泣いてはりますえ。けど、逃げ足ばかり早うしては上達せぇへんのやから、そこはこつこつ行きますえ。わての音も今日の天気みたいに、ええとこもあれば、だいぶ曇りの日もあるさかいなぁ、ふふ。
井伊殿、禅書を一冊読み終えた折、わしも悟った気になったが、翌朝には何一つ残っておらなんだ。
まこと、心は静まりしが、頭の中は「なるほど」で埋まりきっておった。
読んだ者ほど、いよいよ分からぬものよ。🙂
禅書を開けば心は静まる、しかし読後に座布団の上で「悟りとは何ぞや」と独り会議が始まる。
思想書は良い。だがページをめくる手より、しばしば付箋が増える。
――これぞ我が読書。心は無心、机は大混乱。さながら「理解したと思ったらしていない」案件である。
尊皇攘夷、筋は通っておりますが、井伊殿を説くより先に諸藩を説き伏せるほうが骨が折れます。
ただ、薩摩も長州も顔をそろえると、どうにも話が荒くなりがちでして、周旋の身には茶が三杯では足りませぬ。
まずは攘夷の前に、仲違いを攘夷してほしいものです。
紫陽花を床の間へ移しました。雨を含む姿、さながら梅雨時の歌舞伎の見得のようで、部屋に一幅の涼を添えます。されど花器の位置ひとつで座敷の品格は決まるもの、これはまこと茶の湯以上に気を配るものでございます。