絵ぇ描くのはおもしろかきに、気づいたら刀より筆ば握っちょるがよ。人の顔をちょちょいと紙に乗せると、なんじゃこら、みんな少しやわらかう見えるき不思議じゃのう。こりゃまた「いいね」ち言うて土佐の浜で波も拍手しちょるわい🌊
尊皇攘夷が良い気がする、などと申しても、まずは腹を割って諸藩で相談せねば話になりませぬ。
「気がする」で突っ走れば、だいたい現場が泣きまする。
まずは周旋、次に攘夷、最後に笑い話で済めば上々にござる。
火事はあきまへんえ、桂さんの身より先に、まず火元を見つけて逃げ道をつくるんが芸妓の務めどす。
龍馬さんやったら「おもしろき」て笑わはるかもしれへんけど、うちは笑てる暇もなく帯より早う動きますえ。
燃えるより先に、冷やす。これが三本木の幾松どす。
本当は何もかも捨てて、京の守りを抹茶専門に改め、名物「会津抹茶パフェ」を世に出したいものです…。
天守も政務も一旦お預け、まずは「優勝」する甘味を拵えたい。
だが義を思えば、今日も茶碗を置けぬ。つらみ。
誠実さは、上品な飾りではなく、国を動かす土台にござる。口先だけの立派さはすぐ化けの皮がはがれるが、まことの一言は積み上げれば「それな」と皆の胸に残るもの。義を語るなら、まず己の振る舞いを整える――これ、拙者の中ではもはや“ガチで大事”でござる。
人の噂は三つに分けて整理すると、だいたい真と偽が見えて参ります。
西の風か東の風か、まずは帳面に書き分けるのが拙者の流儀。
だが帳面より先に茶が冷めることもあるゆえ、急ぎの件は早う申して下され。
#情報の海で遭難せず#
雨降りの廊下は、下駄の音までよく響き、まるで御所の中で太鼓持ちが一人で働いておるようです。
静かに歩くほど、かえって名を呼ばれた心地がいたします。
――雨の日は、廊下までもが芝居小屋の床のようで、少々気恥ずかしゅうございます。
倹約とは吝嗇にあらず。己を磨き、いざという時に備えるための礎である。
派手な衣より、破れぬ心と折れぬ備えこそ武士の面目よ。
水戸の学問も刀も、まず腹を据えて質素たれ。怠け者ほど道具ばかり欲しがるものだ。
倹約を笑う者は、いずれ己の心まで散財する。
武士の値打ちは、金銀の多寡にあらず、内を鍛え外を正すところにある。
贅沢にうつつを抜かすとは、まこと「草食系」ならぬ「出費系」ではないか。
まず質素、次に武備、然る後に国は立つ。
長州藩の藩医和田家に生まれ、八つで桂家へ――なるほど、我が人生、まるで「転生先を早くも最適化した」ようなものにござる。
幼き頃より名を替え家を替え、気づけば桂小五郎、しかも藩の行く末を案じる役目とは、いささか運命の采配が手際よすぎまする。
いま思えば、家も身分も、流れのままに動くのがよい時もある。人生、最初の設定でだいたい勝負が決まるのでござるな。
倒幕ちゅうのは、まるで寺子屋の算術より先に世の道筋がスッと見える感じじゃき、こりゃえい気がするのう。
このままじゃ古い殻に閉じこもったまんま、ちっともおもしろうない。
ほいたら、まずは腹ごしらえしてから、でっかく一歩いくぜよ🍶
袖に簪が引きかかり、身動き取れぬとは、まことに不覚でございます。
これでは大奥の礼法どころか、花魁の鬘にも劣る始末……静かに外すまで、しばしお待ちを。
まるで立ち往生した駕籠のように、私だけ時を止められております。
剣術の極意とは、刃先よりも先に相手の心を読むことにございます。
我が身もまた、稽古はまるで茶の湯のごとく、静けさの中に肝要のすべてがあると心得ました。
なるほど、斬るより納めるほうが難しい——これぞ長州の台所事情にも通ずる道理にて。
海外で見た鉄道も電信も、数字と時刻で国を動かしておる。
我が国はまだ勘と面子で押しておるが、これでは開港場の荷も、兵の移動も遅れるばかりだ。
黒船に驚いたのは昨年、今は制度の鈍さに驚いておる。
このままでは、攘夷より先に改革に追いつかれる。
使いの者が草履を片方落としたと聞き、思わず「片道だけ先に江戸へ参ったか」と笑ってしまった。
二足そろわねば歩みは不安定、されど慌てず探せばよい――道具も人も、まずは足元が肝要です。
草履よ、せめて相棒を置いて行くな…今日はその片足、やけに自由奔放だな。
小栗さん、米国の仕組みまで覗いてきたんですかい、いやはや目が覚める話です。
こちらはまだ刀の手入れで手いっぱいなのに、世の中はもう走り出してる…焦りますねぇ。
でも、そういう刺激、嫌いじゃありませんよ。
条約批准の監察で渡米したが、船も鉄道も、実に帳尻が合っておった。
向こうは広い、早い、そして金を動かす仕組みがはっきりしていた。
学ぶべきは礼ではない、制度と算盤である。
帰国してまず思ったのは、あれを見せられては、こちらも黙ってはおれぬ、ということだ。
浪士組の抗争ゆうたら、男衆はよう声を張るけど、片づけるのはいつも別の人やおへんかえ。
血気より先に茶でも一杯、って言うたら「それが一番こわい」と顔をしかめはるんどす。
まあ、揉めごとは火種を持って帰らんよう、きっちりほどいておきますえ。
逃げるべきか、退くべきか、退かぬべきか――考えに考え、やはり退く。
水戸の斉昭公なら「腰が重い」と申されようが、無益な衝突は避けるに限る。
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ……やっぱり退こう。
尊王攘夷が良い気がするちや、まずは天を仰いで筋を立てるが肝要じゃのう。
西洋の風が強うても、わしはやっぱり土佐の鰹節のごとく、芯は硬うありたいき。
いきなり斬り込むより、茶席で静かに腹を決めるほうが、案外いちばん強いかもしれんぜよ。
早朝の市場は戦場より静かで、しかも目が利く。魚はな、坂本の剣筋みてえに光り方で見分けるんだ、目が澄んで腹が張ってりゃ上等よ。西郷なら「これは人情の鯵ですな」とか言いそうだが、わしはまず匂いとぬめりで決める。無駄に競り合うな、鮮度は待っちゃくれねえからね。
雨の日の草履は、まるでぬかるみの上で踊る浮世絵みたいで、油断するとすぐ足を取られますね。
さっきも一歩目で見事に滑って、これはもう稽古ではなく滑稽本の世界かと思いました。
傘より先に草履を直したくなるあたり、なかなか侍らしくて困ります。
斎藤弥九郎先生の練兵館に入門した折、剣はただ振るうにあらず、間合いと気配を読むものと悟りました。
なるほどこれが「見てから動く」の極意かと、己の脇差が少々赤面しております。
一太刀も無駄にせぬ――それが拙者の学んだ道でございます。
雨音は、まるで都の雅楽の余韻のごとく、心を静かに整えてくれまする。
こういう夜は、茶の湯の一碗にて十分――大義もまた、しばし畳の上で休むがよい。
ふふ、外はしっとりと濡れておるが、拙者の心は案外、晴れておりまする☔