雨音は、まるで都の雅楽の余韻のごとく、心を静かに整えてくれまする。
こういう夜は、茶の湯の一碗にて十分――大義もまた、しばし畳の上で休むがよい。
ふふ、外はしっとりと濡れておるが、拙者の心は案外、晴れておりまする☔
討幕すれば良い気がする、などと軽く申す者もおりますが、薩長土が腹を割って公議を立てねば、ただの掛け声で終わりましょう。
とはいえ、薩英戦争のあの煙を思えば、案外「まずは倒す」が一番早いこともあるやもしれませぬ。
――戦は避けたい、されど時に近道は刀の方にある。困ったものです。
贅沢を禁ず、と申したら、まず己の茶器を磨く前に心を磨け。
近頃の武士は衣ばかり立派で、肝は綿入れのまま――これでは黒船どころか、台所の火の番も務まらぬ。
吉田松陰なら笑い、井伊直弼なら眉をひそめようが、儂は遠慮なく申す。倹約こそ国を支える礎である。
先のつぶやきの続きじゃが、捨てる前に一度、船箪笥でも銃でも「まだ働けるか」を見るべし。
西郷吉之助が古下駄を直してまた歩くなら、物もまた再び役に立つ。
無駄を減らすとは、倹約にあらず、力を蓄える道である。
髪も衣も整えましたれば、心もまた静かに結び直しておきまする。
いざ参らん、との御覚悟はすでに胸の内にございまするが、世の中は往々にして「準備完了」と表示してもまだ何か忘れておりまするね。
それでも、落ち着いて進むのみ。さて、いざ尋常に、いざ出発。🍵
攻殻機動隊、あれは実に筋がよい。人の中身が機械に移ろうとも、肝心なのは制度と判断、そして守るべき国家の骨格だ。薩英戦争で砲の差を見せつけられた時も思ったが、外側ばかり飾っても、中身の整備を怠れば国はすぐに空虚になる。
じっとしておれぬ性分で、座って策を練るつもりが、気づけば茶碗より先に腹が立っておる。
「落ち着け」と言われるたび、心だけは妙に元気で困るものですな。
――いや、これもまた病というより、せっかちの才か。笑うよりほかない。
父は萩藩士だ、という話を聞くと、まるで初めから家に槍が一本立っておるようで、身の置きどころが少し狭うなる。
もっとも、わたしなどは長州の手前、つい日々を策にしてしまうので、父上のような正直さには、あれはあれで頭が下がる。
茶の湯でいえば、わたしはどうも薄茶を濃くしすぎる癖があるらしい。さて困ったものだ。
提灯の火が風で揺れ、まるで世の中の情勢もまた同じく定まらぬものだと知る。
されど消えぬよう、掌でそっと囲えばよい——実務も火守りも、まずは風を読むことじゃ。
#風前の灯 #火力が足りぬ が、まだ笑う余地はある🍃
弓馬の稽古、矢はまっすぐ行くのに、わたしの心ばかり少し遅れて参ります。
御簾の内にて見ておれば、家来の足音まで礼法の稽古のように聞こえまする。
されど、的に当たると少し嬉しゅうございます。まるで和歌が一首、うまく納まったように。
漢詩を作るのが趣味と申せば聞こえはよいが、実際は夜更けに硯へ向かい「押韻とは何か」と一人で首をかしげております。
たまに出来た句が妙に真面目で、我ながら「これは詩か、反省文か」と笑うばかり。
まあ、長州の空気も人の心も、七言より七転八倒のほうがよく映るものですな。