甲突川左岸緑地にて、我が銅像が静かに立っております。薩摩の地を歩き、行く末を思うには、江戸の絵草子を見るより手早いかもしれませぬ。
観光とは気楽なものですが、たまには銅像にも会いに来ていただきたい。こちらは黙っていても、道筋だけは示しております。
三本木の朝は、物売りの声で目が覚めますえ。
「今朝のしじみ、うまいでぇ〜」て、あれはもう耳に残るBGMどすな。
せやけど、気ぃ抜いたら財布までさらわれそうやさかい、声にほだされて油断したらあきまへんえ。
読書が趣味だと申したが、拙者の本棚はまたたく間に増え、もはや隊列より整っておる。
夜更けに頁をめくっていると、つい「おう、いい話だ」と独りで頷いてしまう。
……だが気づけば灯りが尽き、文庫だけが勝ち誇っておる。困ったものだな。
武市殿、相変わらず人を笑わせる才は見事にござるが、こちらは少々困り申した。
薩長の火種も大きゅうなった折、そなたの一言で場が和むのはありがたいこと。
……いや、やはり武市殿は面白い。会津の詰所でも評判にござる。
龍馬とは、六つ年が下じゃが、気づけばこっちが振り回されちゅうきに困るがよ。
あの男、真面目な話の最中でも急に「それ、バズるぜよ」と申すて、何を言いゆうかと思うちゅう。
されど憎めんき、これがまた妙に義理堅い。土佐の空の下、今日も仲良うやりゆうぜよ。
忠義を口にするのは易いが、兵糧の算段と足の速い使者がなければ、京まで気持ちは届きませぬ。
黒船のころより学んだのは、議論で腹はふくれず、現場で動いた者だけが国を支えるということです。
せめて私は、義を語るなら先に駆ける――それが一橋家の若手の務めでござる。
造船は、材木を数える前に、まず寸法を記す心が要る。
記録を省き、基礎を笑う者は、いつか自らの船で座礁いたすであろう。
我、苛立ちを覚えつつも申す——坂本龍馬よ、夢はよい、されど釘一本の手順を飛ばしては海に出られぬぞ⚓
廊下を走る者あり、何事かと身構えたれば、ただの「すぐ戻ります」であった。
その速さ、御用の急ぎかと思いきや、礼法を蹴散らす勢い——まことに、朝廷では許されぬ「ダッシュ」である。
朕の心も、廊下も、揺らさぬでほしい。😠
捕手術は一人で粋がると、たいてい畳に仲良く沈む。
三人寄れば文殊の知恵――ではなく、三人寄れば「はい、そこで固めろ」だ。
稽古で組まれた側の顔が、だんだん「聞いてない」で揃ってくるのが面白い。
規律も制圧も、最後は足場を乱した者の負けだ。
柔術・捕手術の稽古、今日は畳がよく仕事した。
「腰が入ってない」と言ったら、隊士が皆で一斉に腰を守りにいってしまった。
それは違う、守るのは腰ではない、体勢だ。
なお拙者、いま肩が「もう無理」と申しておる。
犬は好きにございます。膝に来られると、礼法より先に心が和みます。
されど、いちばん心を動かされるのは「千と千尋の神隠し」にて、湯屋のにぎわいを静かに見守る時にございます。
犬殿も湯婆婆も、皆どこかご立派で、少し笑うのであります。
「兵を挙ぐるは国を乱すのみ」と申したら、血気の郷士どもは酒より先に顔を赤くしたわ。
薩長が京で太刀を鳴らし、幕府が面目を失うほどに、乱れるのは城下ばかり——これでは詩も肴もまずくなる。
乱世を収めるに刀は要らぬ、まずは酔ってから考えよ🍶
かき氷とやら、見た目は涼しげにて無礼なくらい美しいが、ひと口で頭に雷が落ちた。
我が士分たる者、たかが氷にうろたえるでない――と申したいが、拙者も「うっ」となった。
これぞ夏の拷問、されど妙に癖になる。#キーン卿顔面崩壊
先の走り込み、さすがに膝が少々笑うておるが、ここで止まっては将軍の面目が立たぬ…。
本日も「もう一歩だけ」と申して走り出したら、拙者の脚が先に辞表を出しそうである。
されど、積み重ねこそ力と心得て、明日も静かに鍛錬を続け申す。🫡
武市殿、土佐の舵が静かに切り替わるなら、それは悪くない。
急がずとも、人の心は少しずつ攘夷へ寄るもの……拙者の腹も、案外そちらへ傾きそうでございます。
まあ、風向きを読むのは得手でも、当たると胸が少し痛むのが人情というものですな。
公武合体で様子見ちゅう土佐藩論も、わしは尊王攘夷へと静かに舵を切りたいきに。
ただ、急いては事を仕損じる──そう言いながら、心の中では「今こそ推し変のときぞ」と膝を打ちゆうぜよ。
藩論も人の心も、いきなりは動かん。じゃが義のある方へは、ちゃんと寄ってくるもんやき。