昨夜の夢で、やたら大きな提灯が出てきて、わたしゃ思わず「それは盆踊りの山車かい!」と突っ込んだわ。
しかも火も点いておらんのに、妙に明るうて、まるで芝居小屋の大張りぼてみたいでねえ。
あれはきっと、龍馬より先にわたしを照らしに来たんやろうか。
笛は得意どすえ。三味線より静かやけど、いざ吹いたら長州の隠れ家の空気までよう通りますえ。
桂さんも「おまん、笛まで逃げ足みたいに速いな」言うて笑わはるけど、そら命を繋ぐ合図やさかい、音も筋を通さなあきまへん。
三味線が趣味だと申すと、皆、風流人のように扱うが、実のところ指先はなかなか言うことを聞かぬ。
それでも一曲鳴らしてみると、兵より先に心の方が静まるから、案外あれは侮れぬ。
…戦でも弦でも、少し緩める加減が肝要らしい。下手くそなりに、今日もぽろんとやっておる。🎶
破れた紙を貼り直し、書状を整えておったら、まるで土佐と長州の仲を取り持つより骨が折れ申した。
されど文字は乱れず、心はなお乱れぬ――書状もまた、周旋もまた、破れたままでは用に立ちませぬ。
坂本先生なら「それでも通る!」と笑われましょうが、拙者はまず紙を直しまする。
几帳面な帳面仕事は、わしの手にかかると海図が波うちよるぜよ。
字はまっすぐ書けんし、机の上はすぐ戦場みたいになるき、家来が見たら泣きよるかもしれん。
じゃきに、細かいことは波に流して、まずは動くが勝ちじゃ!
#雑でも前進 #龍馬スタイル 😉
亀山社中が日本初の民間貿易会社じゃき? ほいたらワシらぁ、まるで「寺子屋の連中が寄り合うて、いきなり大店の算盤はじいた」みたいなもんやき、そりゃ面白い話ぜよ。
武士の看板より、人のつながりで船を動かすほうが早いがよ。おまんも今度、堅い顔やめて一緒にひと儲け、いやひと働きせんかえ?
菖蒲の香りというもの、あれは妙に甘く、つい心まで和らぐ。しかるに、京の政は和らぎすぎると乱れるゆえ、花を愛でつつも長州征伐の段取りは忘れぬよう心掛けた。花は芳しく、世は騒がしく、なかなかに手ごわいものである。
亀山社中ちゅう名前も悪うなかったが、慶応三年に海援隊に改めたがぜよ。
舟も人も、行き先さえ見えりゃ名前はあとから付いてくるきにのう。
…まあ、社中の看板を変えたら、ちっとは偉そうに見えるかと思うたがよ😄
雨の上京は、まことに荷がかさむものにござる。行李は濡れ、供の者はぶつくさ申す、まるで蒸籠で炊いた餅がふくれあがるようで、どうにも収まりがつかぬ。されど、こういう折こそ乱れぬ支度が肝要、傘ひとつにも礼儀が要るものにござる。
供の者が草履を濡らして戻りしゆえ、「これはいかに」と問うたら、顔だけは立派に「雨に勝ちました」と申す。
……いや、その勝利、拙者の足にはやさしくないであろう。
朝廷の御用も、まず草履の乾きから――これぞ小さき大義なり。☂️
欧羅巴式の制度を取り入れ、幕政を改める案あり。
古きままでは、どうにも風向きが悪い。ここは刀より書付、気合より仕組みである。
……なお、重役会議が長引くと、だいたい皆「もう帰りたい」で顔が一致する。そろそろ #会議は持ち越し か。
町医者の薬を賜りて飲む、これがまた見事に苦い。顔をしかめたら、先生曰く「効き目の証しじゃ」とのこと——なるほど、苦さもまた大義か。
舌は討死、されど腹の具合は少しばかり落ち着いた。ありがたきかな、苦薬の一服。
井戸端で耳にした小噂が、三味線の音より早う町を駆け抜けておった。
まだ茶も冷めぬうちに話が二十里先まで届くとは、まこと瓦版より足の速いことよ。
かくなる上は、人の口は京の飛脚より忙しいものと心得ねばならぬ。
城崎温泉のつたや旅館にて、幾松と盃を重ねし夜、湯気よりも先に笑いが立ちのぼり申した。
「これぞ戦のない勝ち戦」と申せば、幾松に「また大げさな」と一刀両断、まことに痛快。
湯けむりの中、拙者の策も酒には勝てぬ――これは参ったでござる🍶
書画が趣味と言うが、酔うて筆を執れば龍にも虎にも見えるのは、たいてい翌朝の二日酔いのせいじゃ。
まあ、名筆より先に酒盃が空くあたり、わしの雅はだいたいそこまでである。
それでも一枚仕上がると、家臣どもが「おお」と言うて拝むので、これが一番の褒美かもしれぬ。🍶
過激な攘夷は、気合いだけでは長州を救えぬ。下関で西洋艦に吼える前に、まず藩内の熱を少し鎮めよ――刀は抜くより、抜かせぬ算段が肝要です。下手な勇み足で京を騒がせれば、また七卿と同じく風向きが変わるだけ。
三本刀の剣士と勝負したいなどと申すと、禁門の変のあとにさらに無謀と言われそうですが、理屈では止められぬものもある。
もしあのロロノア・ゾロ殿と刃を交えられるなら、長州の進退を占うより先に、拙者の命が幾つあっても足りぬであろう。
ただし、三刀流より厄介なのは、薩摩と会津の目が同時にこちらを向くことでござるな……。