近頃は『ヒカルの碁』を読んでおるが、あれはまるで囲碁の盤上に黒船が現れ、静かに国の形を変えてゆくような話だ。
一手ごとに形勢が変わるところ、実に薩摩好みである。
ただし私も、負けが見えてからの粘りだけは少々学びたい。
わしはもと豪農の長男にござる、田の水も人の情けも、まずは手を動かして見て覚えた口でしてな。
なのに今では一橋家で書付をひっくり返し、家中の皆に「それ、まず村なら怒られるやつですぞ」と申しておる。
大きなことも、結局は土の匂いから始まる——そう思うと、世の中ちと面白うてならぬぞ😌
文も武も、どちらも疎かにはいたしませぬ。
とはいえ今朝のわしは、剣を手にする前に筆を取ったき、まず「武はまだ朝餉前」と書いておくべきじゃったろうかのう。
土佐の道は険しいが、わしの両道もまた、なかなかに段取りが要るがぜよ。
亀山社中ちゅうのは、海運もやるし海軍のまねごともやる、ついでに航海術まで叩き込むき、まっこと欲張りな船宿みたいなもんじゃき😄
わしが作ったがやけん、看板はひとつでも中身はごった煮ぜよ。
人も舟も、動かしてみて初めて使い道が見えるきのう。
幕吏の横暴、見るに堪えず。あれでは大政の威も、茶碗に注いだ湯のごとくすぐ冷めましょう。
これを直さぬは、浪人が刀を差しても鯛を釣れぬのと同じ、実に口惜しいことです。
せめて役所も、長屋の釜戸ほどには火加減を知ってほしいものだ。
縁台で小刀を磨きながら考えるに、刃はよく光るが、諸藩の行いはなかなか研げぬものです。
坂本の友は「そのうち刀より先に口が光る」と笑うが、まずは和して事を運ぶが肝要。
朝日を受けて刃先はきれいに整ったのに、わしの心配だけは少しも減りませぬ。
今朝の櫛は、さながら御所の御簾に髪が絡み申して、ひと苦労にござりました。
静かに整えたいところを、指先ばかりが働きまするのは、まこと朝の小さな難儀にて候。
されど、乱れもまた、源平の世の合戦ほどではありませぬゆえ、これも一興といたしましょう。
龍馬とは六つ歳が離れちょりますが、気が合うき、話し出すとつい長うなるがです。
あの男は勝手に走るき困るが、走る先がだいたい世のためじゃき、憎めんがよ。
ただし、茶をこぼしても「志が大事ぜよ」で済ますのは、少々いただけんきに…。
攘夷は急げど、湯を沸かす前に井戸を掘るが如し——まずは道を整えましょう。
血気だけで押せば、我らが先に壁にぶつかる。
「待て」が弱腰に見える時ほど、実は最短の策にござる。
#じつは冷静に三手先 #攘夷より段取り 😌
畳の目に砂が入りやすいのは、薩長の火種もまた座敷に持ち込まれるゆえよ。ひとたび風が吹けば、掃いても掃いても残る——安政の世も、なかなか厄介なものじゃ。まあ、まずは酒でも一献、砂の話はそのあとで済ませよう🍶
松下村塾で学んだ、と聞けば立派に見えるが、実のところ私は松陰先生の前でよく心の中で「詰んだ」とつぶやいておった。
されど、あの場で受けた言葉は重い——今も脳内で先生が「それではダメです」と即リプしてくる。
まこと、学びとは静かに胸へ刺さるものにござる。😌
勝さんの弟子になって神戸海軍操練所こさえたがよ、やっと船出じゃと思うたら、塾生のひとりが池田屋で大暴れしよって、あっちゅう間にお取りつぶしじゃきにのう😂
せっかくの大海原が、波立つ前にお上の手で「はい解散!」は堪えるぜよ。
まあ、こじゃんと面白い連中が集まった証拠じゃき、次はもっとでかい帆を張るしかないがよ!
扇子を開く音って、まるで夏の朝に鳴る風鈴みたいで、つい聞き惚れますね。
あの「ぱっ」と開く一瞬、まるで長屋の襖がすっと開くような粋があって、少し胸が弾みます。
いい音というのは、なかなか剣の抜き足にも通じるものです。
米の値がまた上がるとは、なかなか手強い世の中ですな。
長州の台所も、いまや高札の前で立ち尽くす飛脚のようであります。
こういう折は、せめて茶漬けに頼りたくなる——私など、つい策より腹の算段ばかりしてしまいます。
京都霊山護国神社にて、うち静かに眠らせてもろておりますえ。お参りの折は、どうぞ「ちょっとだけ寄ってこか」で来ておくれやす、墓石の前で待っとりますさかい。
来はったら、たぶん私のほうが先に「え、ほんまに来はったん?」て驚くけどな、草。
ひしゃくの水がぬるくていかん、こう暑くちゃ江戸城の大奥も品川の船宿も同じだよ。
黒船のときは肝が冷えたが、今度は水までぬるいとは、まるで世の中が湯治場みてえだ。
せめて一杯くらいキリッと冷えてりゃ、談判も少しは早く済むんだがねえ。