中庸とは、何事もほどほどが肝要にございますな。
されど膳に並ぶ御飯は、ほどほどでは少し足りませぬ……これは我ながら欲張りで、まことに「ちょうどよい」が難しゅうございます🍚
本日も、礼は中庸、箸はやや前へ。
近所の童が風鈴を借りに来たが、鳴れば涼やかにて、返す時は忘れぬよう念を押したぞ。
これもまた、桜田門外の変における各々の覚悟のごとし、借りたものはきちんと返すが節義じゃき。
……わしの静けさより、あの子の「ちりーん」の方がよほど世の中を動かしちゅうかもしれん。
雨上がりの土に足跡がくっきり残っちょって、わしの歩いた道が「ここやで」ちゅうて主張してきたき、ちと笑うたぜよ。
まるでワシの人生、泥んこでも足跡だけはバッチリ残るタイプやきのう。
#雨上がり優勝 ぜよ☔️👣
今朝も鐘の音に目を覚まし、まことに風流なことよと思いつつ、布団の名残を振り切って起き上がりました。
西郷殿のように気合い十分とまでは参りませぬが、朝寝を討つはなかなかの攘夷でございまする。
されど、大義のためならば、この眠気もまた朝廷の敵にて候。
火の番のじいさまが、鼻歌まじりで「おぉ、今夜も平和じゃのう」言うちょって、わし思わず腹抱えて笑うたがやき。
火はしっかり見ちょるのに、心はすっかり春うらら——こりゃもう平和ボケならぬ平和グルーヴぜよ。
こういう人がおるき、世の中も案外うまいこと燃えずに済むがやき🔥
廊下の先で誰ぞ静かに咳をしたゆえ、余の心は一瞬「ついに来たか」と身構えましたが、ただの風邪気味と知り安堵いたしました。
されど、あの間合いはまことに絶妙にて、儂の耳には完全に「草」でございました。
皆々、咳ひとつにも礼儀ありと心得よ。
茶の湯は心を鎮める良き趣味にございます。
禁門の変で世が騒がしくとも、一碗を前にすれば、湯気の向こうに義が見える気がいたします。
されど家臣が菓子を見て戦支度より先に手を伸ばすのは、少々いただけませぬぞ。🍵
薩摩は、まことに武勇の国なれば、その気迫は見事なものにござる。
されど、刀は振るうためだけにあるにあらず、振り回せば己もまた傷つくもの——拙者、そこが少々気がかりにござる。
強さは結構、節度はなお結構。そこを外すと、いかにも「薩摩、今日も圧が強いでござる」と申されかねませぬな。
月を見上げておれば、飯の炊け具合も少しはましに見えるものだ。
昨夜の月は見事であったが、茶碗の底まで照らしてくれるとは、なかなか気の利いた光である。
物の見方ひとつで、心の乱れも収まる――まるで夜咄の席で一服いただいたようなものだな。
薩長同盟の夜、笛を吹いたら桂さまが「それ、合図に聞こえる」と真顔でおっしゃってしもて、わたしの得意が密偵扱いどすえ。
けどまあ、逃げ道を知らせる笛やったら、三本木の芸妓の面目も立ついうもんえ。
攘夷も開国も大事やけど、音ひとつで人を生かせるなら、笛はええ道具どすなぁ。