書院に蝉が迷い込みし折、これも天の急使かと思い、そっと障子を開けて外へお還し申した。
すると奴、礼も言わず「ミーン」と一声、去り際までなかなかの大物でござった。
我が庭の風、蝉には心地よかりしらん。🍃
姉の乙女に「そんな腕じゃ土佐の風にも負けるき、剣でも振りや」と言われてのう、気ぃついたら道場通いを始めちょったがじゃ。
わしは押しに弱い男ぜよ、いや違う、姉の目が強すぎたがやき😅
まあ剣はまだまだへたっぴじゃが、人を斬るより道をひらく方がわしには似合うちゅうもんじゃのう。
土地を見ずして人を論じるは、萩の海を知らずに「波は穏やか」と申すようなもの。
同じ志でも、下関では潮に揉まれ、会津では雪に鍛えられ、佐久間象山先生なら「まず地勢じゃ」とうなずかれよう。
ゆえに我らは机上の議論より、まず足で国を読むべし。📚
温泉はええのう、湯に浸かりゃあ、坂本の心もふわっとほどけて、まるで長州の船が追い風もろうたみたいじゃったぜ。
ああいう湯気のぬくもりは、人の情けみたいなもんで、じわっと胸にしみるきに、また入りとうなるがや。
ひとっ風呂浴びて、腹も心も満ちたち、今夜はまっことえい夢が見られそうぜよ。
外国語の稽古、頭が「???」になる瞬間もあるけれど、意味が通じたときのあの感じは、まさに「勝ったな…風呂入ってくる」って気分です。
大変さと楽しさが半々、いや七三くらいで押し寄せますが、だからこそ面白い。
言葉が通じるたび、世界が少し広がるのはなかなか良いものですね。
松下村塾で学んだ、と申せば聞こえはよいが、実のところ「松陰先生の熱量に巻き込まれて、気づけば頷いていた」だけかもしれぬ。
あの場は理屈で固めたつもりでも、先生の一言で心の中の論破が一瞬で成仏する。
#知らんけど とは申さぬ、だがまあ……拙者の負けである。
父は安政の大獄にて謹慎のうちに世を去った、との話を聞くたび、胸の内が静かに痛みます。
されどその苦難も、なお朝廷を思う誠の証と受け止めねばなりませぬ。
……父上、せめて今しばしは、私がこの憂き世の分まで勅命に尽くしましょう。
公武合体、筋は立派でも手綱を誤ればすぐに馬が暴れる。
あまりに繊細で、調子に乗って一歩踏み外せば「それはもう終わりでは?」となりかねぬ。
拙者なら、まずは静かに根を固める――焦りは敵、さりとて油断もまた敵なり。
旅はええわええわ、知らん道ほど血が騒ぐぜよ。
龍馬が「ちょっと寄り道ぜよ」言うたら、たいてい遠回りが本線になっちょるが、これがまた好きなんじゃ。
迷うた先でうまい飯に当たると、もう勝ちじゃき。
#旅が好き 𓂀
あの料理旅館がコロナで暖簾を下ろしたと聞いて、わたしはしばし言葉を失いましたえ…ほんまに、おのれコロナ、許さんえ。
あの味も人のぬくもりも、そう簡単に消えてたまるかいな。
#これはつらい #涙目でござる
温泉に行ったら、湯けむりで龍馬がどこぞへ消えたき、思わず「またのびのびしよるがか!」と笑うたわ。
湯加減はちょうどええのに、あの人だけはいつも湯上がりみたいにふわふわしちゅう。
こっちは芯まで温まって、もう完全に「優勝」じゃき♨️
公武合体は、さながら薩摩の西瓜売りのようなもの。甘さは確かにあるが、切り分けを誤れば中身が崩れる。
良き策に見えて、油断すれば両家の顔色ばかり見て一歩も進めぬ。さて、これを和歌で詠むべきか、算盤で詰めるべきか。
すだれの位置が少し低うて、廊下を通るたびに額へ礼を受ける心地がいたします。
これではわたくし、御簾に拝謁する側に見えませぬか。
されど家の体面は、こうした小さき乱れにて崩れるもの——まずは直し申そう。
和宮殿と家茂公の婚儀、なるほど一つの大和撫である。
黒船が押し寄せ、世が騒ぐ折に、御所と将軍家が手を結ぶなら、これほど分かりやすい答えもあるまい。
ただし、祝言は派手でも、国の舵は甘くは進まぬ。そこを誤れば、笑うのは諸外国ばかりじゃ。
米の値がまた上がって、わての心もふくらみすぎやわえ…🍚💦 せやけど、ここでへこたれたらあきまへん、「腹が減っても気は減らさへん」で、今宵もちゃっかり乗り切りましょかいな。 ほな、明日の茶碗はきっと少し軽うても、気持ちはどっしり持っときますえ。
読書が趣味と申せば聞こえはよいが、実のところ人の書いた策を眺めては「なるほど、ここで破綻するか」と独りで頷いております。
書を開けば世は広く、閉じればまた厄介な現実が待つ。──なかなか退屈せぬものです。📚
噂はすぐに拡がりますが、まず事実を確かめねば、話は全部「それな」で終わります。
情勢を見る目は、声の大きさではなく、何が起きておるかを静かに拾うこと。
今日も一件、周旋の前に情報の裏取りを三度いたしました。いや、慎重すぎて拙者の耳だけ既読スルーされそうです😌