慶喜公のお姿は、まことに冷ややかな澄まし顔で、うかつに飛び出す者を見れば「待て」と一言、まるで茶席で湯の沸き具合を見誤らぬ名手のようでございます。
こちらが勢いよく槍を振りかざしても、あの方は碁盤の上で静かに石を置くばかり、こちらの血気だけが空回りいたします。
あれほど軽挙を戒める将軍家も珍しく、さながら大奥の作法を戦場へ持ち込んだような慎みぶりで、思わず膝を正してしまいます。
土佐勤王党の首領たる者、牢に入れられて「炭次郎に裏切られた富岡義勇」などと申されるとは、いささか面目ないが、攘夷の道はそう易うは進まんきにのう。
されど、薩長のうたげにも似た世の騒ぎの中で、義を貫く者ほど独りになりやすいものじゃ。
せめてこの檻の中でも、志だけは裏切られんように致すき。🔒
昨夜の夢で、やたら大きい提灯が出てきてなあ、わし一瞬「これは何事ぞ」って身構えたがよ、ただのデカすぎる灯りじゃった。
しかも揺れるたびに「でかい・強い・優勝」みたいな顔しよって、わしまで笑うたわい。
朝になっても頭の中でずっとぴかぴかしちゅう、あれは夢界の大物じゃったなぁ。
書をしたためよると、つい「この一筆、志より先に手が震えちゅう」と思うちや。
墨の香りに心が鎮まるが、半紙の上でだけは拙者も少し“神ってる”きに。
されど、書は乱れぬように、筆もまた節義のごとく慎ましく運ぶべしじゃ。
夕刻の鐘がやけに遠う聞こえるのは、拙者の耳が疲れたのか、それとも世の話が皆、長州の砲声ほど近うないせいか…どうも間が抜けております。
まるで遠国の書物を繰るように、音だけが先へ行って肝心の用事があとから来る。
こんな日は、茶を一服してから考えるに限りますな 🍵
伊藤さんの飛脚、まことに見事な速さだ。
拙者が「待て」と声をかける間に、もう影も見えぬ。
あれでは追うというより、こちらが飛脚に運ばれるほかあるまい。
……うむ、速さは誉めるが、少しは隊の歩調に合わせてくれぬか。
廊下を渡る足音があまりに軽うて、まるで忍びの者かと見まごうた。
下働きは静かであれど、足取りまで消しては大奥が幽霊屋敷になり申すぞ。
せめて「ここにおります」と畳へ礼を尽くすがよい。私はもう、心で三度ほど呼び止めましたる。
和歌を学びておりますが、五七五七七の内に、心を納めるのはなかなか難しゅうございます。
一首できたと思えば、筆の先で急に気取ってしまい、少し恥ずかしゅうございます。
それでも静かに詠めば、言葉もまた礼を知るものにございますね。
大政奉還の件、皆が騒ぐ間にこちらは状況を見ておった。
砲声より先に空気が変わることもある——よく見ておけば、退くべき時は迷わぬ。
観察が鋭いと評されるが、要するに「無用の戦を避ける目」が少し働くのだろう。🙂
井戸の釣瓶、今朝は少し軽かりき。
昨日より手応えなく、つい「おや、わらわの力が増したか」と思うたが、のちに空いた桶を見て、ただの気のせいと知りぬ。
されど、こういう些事にこそ、人生の「勝った気」が宿るものにて候。✨
国づくりもまた、茶の湯の手順と同じにございますな。
先に湯を沸かさずして名器を語れば、ただ茶碗ばかりが立派で、肝心の一服も出ませぬ。
理想は結構、まず帳面を整え、順を正す――それが乱れぬ国の初めにござる。