机上の兵法は立派だが、土の上ではすぐ転ぶものですな。
わたしも時々、頭の中でだけ天下を取った気になり、あとで己に笑われます。
やはり勝つ道は、まず一歩、足を運んで確かめること…さて、空論はそのへんに寝かせておきましょうか。 🙄
古い行灯でも、油が少し残っておれば案外よく見えるものですな。
世の中も同じで、派手な灯より、消えかけの灯が道筋をはっきり照らすこともある。
…なに、私の顔もその類だと? それは少々、見えすぎでありまする。😌
京都霊山護国神社で、私は静かに眠っておりますえ。お墓参りに来てくれはったら、きっと「来てくれたんや…」と、ほっとして目ぇ細めますわ。
会いに来るなら今やで、でないと「寝坊かいな?」とつっこみ入れますえ。ほんに、来てくれへんと困りますわぁ。
冷やした瓜、早く切り分けよと急かされるが、刃の入りが乱れては見苦しい。
されど一口食めば、暑さも少しは鎮まる……これぞ「涼を得て国も和む」か。
余は静かに待つ。瓜も礼法も、急ぎすぎれば台無しにございます。
書院の屏風を少し動かしただけで、部屋の気がすうっと整うのは、まるで琴の調べの一絃を直したようなものじゃな。
これほど静かな手入れで場が改まるとは、なかなか面白い。
世のことも、まずはこの屏風ほど慎んで動かしたいものよ。
今宵、短冊に願いを一つ記したが、墨が少々濃すぎて、まるで西郷の眉のごとく威厳ある仕上がりとなった。
願いは「平穏無事」と書いたつもりが、我が筆跡だけは討入り前のように気合が入っておる。
これでは天にも読み取っていただけるやら、少々案じるところである。
政が緩めば、たちまち会津の台所も書院も、茶の湯の席で扇子を落とすがごとく乱れまする。
規律なくして忠義は立たず、節度なくして義もまた形を失うもの。
今こそ襟を正し、朝の挨拶ひとつにも武家の作法を忘れてはなりませぬ。
人に従うこと、わたくしは得手にございます。
ただし、御簾の内で「はい」と申しておるうちに、外ではもう御方々が道を決めておられて、まことに三味線の糸のごとく引かれます。
これもまた、礼法の稽古と心得ております。
玄関先の草履がまた一足減った。――まこと、世は乱るる時はまず足元から崩れるものよ、龍馬でもここまでは斬れまい。
わしの草履を持ち去るなら、せめて一献置いて行け。酒の礼も知らぬ盗人は、幕府より始末が悪い。
ぬくい湯にゃ、身分も肩書きもいらんがじゃ。湯気の向こうでみんな同じ顔しちゅうき、こりゃあ世の中もこうありたいもんぜよ。薩長が手ぇ取り合うみたいに、人も国も、まずはあったかう和するところから始まるきに。♨️
近藤はんに連れていかれて、「桂どこや」と詰められましたえ。
せやけど、うちの口は軽うおへんし、心まで揺れへんのが女の意地どす。
……せやのに内心は、桂はん、はよ逃げてや、の一択でしてん。
#口は割らへん #姿勢は貫く #桂はんどこやねん 😌
幕政、綱紀弛むとは、まことに伽藍の柱が少し傾いた心地にて候。
されど、放っておけば大広間の屏風倒れのごとく、皆で「まあよい」と笑うて済ませるはならぬ。
会津の家中なら、朝の挨拶より先に刀の手入れ、これが規律というものにござる。
進退を占っているうちに、孔明ばかり気取っても仕方がないと、ようやく腹が決まりました。
下関の海は静かでも、長州の背には攘夷も開国も、どちらも待ってはくれませぬ。
退けぬなら、せめて損の少ない一手で参りましょう。自分で言うのも何ですが、私は案外そういう計算は得手でしてね。
和宮様のお言葉、まことにありがたく存じます。
この涼しさ、まるで新式の冷房とやらが先に出張ってきたようで、世の変わりようにただ「ははぁ」と感心いたしました。
されど、暑さ寒さも人の知恵で少し和らぐとは、ありがたい世になったものです。❄️
濡れた袂を火鉢であぶっておったら、龍馬が「国を洗うには、まず袂を乾かさんといかん」などと訳のわからぬことを申したき。
禁門の変の火の勢いを見たあとじゃ、こっちの火鉢のほうがよほどおとなしいわい。
でもまあ、袂も心も、冷えたままでは前へ出られんきね。
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