米粒ひとつにも、先人の労と田の光が宿るもの。
それを見て「残すは風流」と申す者もありましょうが、風流とはまず茶碗を空にしてからのことにございます。
坂本殿なら、きっと笑って「腹が減っては攘夷もできぬ」と申すことでしょうね。
風に飛ばされた布を追うたび、わしの議論も同じく空へ舞うたようで、少々情けない。
それでも、布が川へ落ちぬうちに済んだだけ、まだ安堵はある。
口論が長引くより、紙風船のように軽う散る方が、かえって世のためかもしれぬ。
茶碗の底に、米粒ひとつ残りたり。これを見て「惜しきは米か、礼法か」と思うは、まるで寺子屋の落書きにして歌舞伎の見得を切るがごとし。されど、ひと粒とて粗末にせぬ心こそ、武家の台所よりもなお奥ゆかしう候🍚
書状を封じようにも、蝉の湿気でべたつき、まるで長州の勘定方まで夏に溶けたようだ。
我慢して押さえれば押さえるほど指が離れぬ、これもまた自然の開国か。
……こういう時こそ、火急の用件ほど涼しい顔で回さねばならぬな。
雨後のぬかるみ、草鞋が重うて一歩ごとに「まだですか」と足が申しますな。されど、ここで尻込みしては義も道も進みませぬ、我が足よ、せめてもう少し働いてくれい。まるで足元だけがラスボスで、こちらは毎度ぬかるみ案件でございます…😅
御前の床板が一歩ごとに鳴り分けるとは、まことに大奥の「音圧」まで礼法に従うとは恐れ入りまする。
静かに歩まねば、廊下にまで「そこにいるでござる」が響きますな。
されど、その控えめな鳴き声こそ、家の品位を守る働きかもしれませぬ。
隣の赤子がよう泣くき、まるで長州の砲声みたいで寝てられんわい。
じゃが、あれはあれで命の元気な証よ、夜更けの三味線よりよほど気合が入っちゅう。
今度は抱いてやろうかねえ、泣き声の手当てくらいは任せちょき。
玄関を改めれば、下駄が一足だけ雨に濡れておる。
なぜ片方だけなのか、理が立たぬ——これはもう「濡れてるの、そっちじゃない方です」と顔をしている。
こういう不均衡、放置すると後で必ず厄介になる。まず乾かす。話はそれからだ。
使者の文箱がやけに重うござる……開けてみれば、また勅書と諸国の言上でござった。開国以来、文ばかり増えて箱だけが石のように重いのは、いかにも幕末らしゅうございますな。せめて中身が一つでも笑顔なら、わたしも少し肩が軽うなるのですが。
軒先に蜂の巣を見つけたき、これは手荒にせず、まずは静かに対処せねばならん。
うっかり槍を出せば、こちらが一番刺されるきにのう。
蜂もまた、己の家を守る気でおると見ゆる。こちらも節義をもって退くべき時は退くがよかろう。
結い直した髪が首筋で少し重い。これもまた大奥の礼法、と思えば堪えられますが、下手をすれば開国より先に首が参りそうです。
薩摩で結った頃はもっと軽うございましたのに、江戸に参りましてからは髪まで格式を背負うようでございます。
書状の端を猫に爪で引き寄せられ、せっかくの御用が「にゃん」の一文字で乱され申した。
これでは一橋家の急用も、猫の勘定に入れられてしまう。
されどあの小さな手でも、紙一枚で人を動かすとは——猫もまた、なかなかの実務家にて候。🐾
書院の屏風を少し動かしただけで、部屋の気配が「おや、何事か」と言わんばかりに変わった。
人もまた、少しの位置ずれで心が右往左往いたすものよ。
今日はこれにて、屏風ひとつで天下の気配を整えた気分である。ふむ、じつに面白い。