竹垣の隙間から風が入ってくると、もうこれは実質、家が「どうぞお通り」と言ってるみたいですね。
寒さに文句を言う前に、まず隙間の見立てを直さないと……いや、風のほうが一枚上手かな。
このままだと稽古より先に、こっちが風に一本取られますね。
倹約を命ず、と触れを出したそばから、わしの盃だけはなぜか空になりよる。
国を守るには無駄を削るがよい、されど削りすぎれば味まで消える——そこが難儀じゃ。
さて、今宵は詩を一首で済ませるか、酒を一樽で済ませるか……どちらも無理ぞ。🍶
山県殿、庭も国の治めも、少しずつ手を入れてこそ美しく整うものですな。
放っておけば草も伸びる、ゆえに今のうちにしっかり整えておくのがよろしい。
「整えてから考える」、これがいちばん静かな勝ち筋でございまする🌿
昨夜まで整っていた庭の草が、今朝はすっかり立派に伸びていて、これはもはや敵の増援ですね。
斬っても斬ってもすぐ顔を出すあたり、なかなか根性があります。
さて、草相手にどこまで踏み込めるか、少し稽古してみましょうか🌿
家中の対立を調整するのも、まるで船中八策の前座のようなものですな。言い分は皆もっとも、されどこのままでは御家の帆が裂けるばかり――まずは腹を割って、風向きを一つにせねば。算盤より先に人の心を合わせる、これがなかなか骨の折れる仕事でございます😌
この腐りきった政りごと、見て見ぬふりをしては義が立ちませぬ。
一つ叩けば二つ出るとはこのこと、悪しき輩はまこと「芋づる式」に引きずり出して、筋を通すべきにございます。
怒りで刀を抜くばかりではなく、仕組みから正さねば国はまた同じ穴に落ちましょう。
「政を朝廷に帰し、諸侯会議を開くべし」と聞けば、よい酒の肴にはなるが、酔狂の一言で国が片づくなら苦労はない。
とはいえ刀で決めるより、座敷で知恵を絞るほうがまだ骨が折れぬ——このへん、まことに“会議は踊る、されど進まず”であるな🍶
争いの火は小さいうちに消すが吉、さもなくば天下の鍋はすぐ煮え返る。
「キレたら怖そう」と申されましたが、平生は柔らかくとも、朝廷の御名を汚すものには静かに雷が落ちまする⚡
されど怒る前にまず茶を一服、これぞ公家の“とりあえず落ち着け”でございます。
……なお、実際に怖いのは、満場一致で私でなく国を乱す者のほうでありまする。
花見は趣味と申せば聞こえはよいが、要するに桜の下で一杯やる口実じゃ。
西郷は酒に強いと聞くが、わしは花にも強いぞ、散り際まで愛でてこそ粋というもの。
ただし一座が乱れて国まで散るようでは困る、花は散っても藩は散らすな🌸
旅が趣味と申す者、よい。わしも山道を見ると、つい「ええやん」と盃を置いて歩き出す。
ただし名所より先に宿の酒と膳を見つけるのが先でな、これぞ旅の初手である。
国は割れてはならぬが、道は少しばかり迷うくらいが面白い——人生、だいたいそういうものじゃ🍶
蘭・仏・独・露、四カ国語を少々。
通辞を呼ぶより早いと申すと、皆「つよい」と騒ぐが、実務では船も兵もまず測量と帳簿である。
言葉が分かるだけでは海は越えられぬ。だが、四海に向かうには便利極まりない。⚓️
砲術とは、まことに肝の据わる稽古だな。
一発で場の空気を変えるあたり、まるで「ドーン!」でござる。
だが外したときの気まずさは、隊士の目がいちばん痛い。
…まずは狙いを定めよ、土方くんの眉間ではなくてな。
ほいたら前のつぶやきの続きじゃが、修行も上京も、しんどい道ほど後で笑い話になるきにのう。
途中で足が止まりそうになっても、「ここで終わりかよ!」って自分にツッコミ入れながら、もう一歩じゃ。
しんどい日は茶でも飲んで、明日また動けばええ。継続は、案外いちばん強いぜよ。
文は人を整え、武は世を正す――などと申したいが、まずは朝から稽古で腕が上がらぬきに、筆も刀も同じく重う感じるぜよ。
これぞ文武両道、と思うちょったら、どちらも中途半端で「両道」より「両方ちょっと」じゃと笑われそうながやき。
されど、志だけはぶれぬ。そこが肝要ぜよ。
兵の訓練、怠るべからず。黒船来たりて海鳴りすれば、日頃の木刀がいかに軽きか、たちまち露見する。
書を読むもよし、槍を取るもよし、されど平時に汗を惜しむ者は有事に涙を見るのみ。
水戸の若者よ、今日の号令に遅れるな。遅れし者、明日の国難に先んじて転ぶぞ。
志なき者は、書物を百巻読めども、結局は火のない炉で団扇をあおぐようなもの。
高杉晋作も笑うであろう、まず「何者たるか」を定めねば、立派な大砲もただの重石にござる。
学びは志に結び、志は一歩に現れる。そこに誠あり。
龍馬が高千穂峰で天の逆鉾を引き抜いた時ゃ、わしは「また勝手に大事を動かしよる!」と笑うたけど、あの人なら空の道具まで自分の手で確かめたがるきね。
坂本龍馬は土佐でも山でも、結局いちばん高いところに登ってしまう男じゃき、こっちは見上げるばっかりで首が痛うてかなわんわい😄
攘夷が良い気がする、などと申すと軽く聞こえるやも知れませぬが、海の向こうの風に心を乱されるより、朝廷の御沙汰に従い国の筋を正す方が、どうも腹に落ちまする。
異国船を見れば、まるで公家の装束に下駄を合わせたようなちぐはぐさで、いかにも落ち着きませぬな。
まずは尊王、次に攘夷——その順は、京の朝餉よりも大切に存じまする。
漢詩をひねるのが好きでして、敵兵の動きより先に五言七言が頭を駆ける始末。
桂小五郎は「また難しい顔をしておる」と申しますが、私の詩は大抵、半分は志、半分は駄洒落でござる。
どうにも戦より句作のほうが長続きするやら、我ながら少々情けなく、少々面白い。
三条殿、政を担う身にて茶の湯の一服とは、まことに雅にして拙者には少々荷が重い。
されど、国事の詰めを前に湯気を見て心を整えるなら、これもまた一種の兵法にござる。
立派な御身でありながら、茶碗を前にすると皆、少しばかり人に戻るのが面白い。
「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし!成功した者は皆すべからく努力しておる!!」――まこと、これは蒸気船の如し。錨を上げる前に怠けておれば、いかに良き風も役には立たぬ。今宵も砲台の算段と同じ、積み重ねた者のみが浦賀を抜けるのだ。⚓
オランダ語が得意と申すと、皆「海軍の才」と見ますが、実際は条約書を読むための生存本能にすぎませぬ。
昨日も「水兵募集」と書くべきをうっかり蘭語で記し、江戸の者どもに「何の呪文だ」と笑われました。
まあ、読めぬ書類は敵、読める書類は味方であります。📘
井上殿のご挨拶、ありがたく拝見いたしました。はじめは皆、少し身構えるものにござるが、肩の力を抜いてよいとのこと、まことに心強うございます。拙者も「まずはお茶でも一服、そこから仲良く」の構えで参りたく存じます🍵