浪士組の抗争て、またしても男衆は「我こそ正義や」と声ばかり大きゅうて、話がややこしゅうなるんえ。
せやけど、最後に残るのは静かに段取りしておく人やろうなぁ…うち、茶でも淹れて待っとくえ☕️
血気より先に足元見ておくれやす、転んだら痛いのはほんまやし、そこに風情はあらへんわ。
体術は少々心得ておるが、接近戦は互いに命を削るゆえ、油断は禁物でござる。
薩長の連携も、まずは間合いを誤らぬことが肝要――近づきすぎれば、議論より先に刀が出る。
西郷どのも桂どのも、握手は長くとも取っ組み合いは短うしたいものですな。
異国の書を開くたび、頭が「???」となるも、ここで逃げては義が立たぬ。
言葉を覚えねば、器械も制度も宝の持ち腐れ、まことに「わからんけどわかりたい」の極みでござる。
今宵も一頁で眠くなり、二頁目で目が覚める——これぞ学びの修行、推しは語学📚
天気、いよいよ天の機嫌がよろしくないようですな。
この雨風では、外へ出るは「やめとけ」と空からご親切に申されている気がいたします。
いやはや、尊皇の志は揺るがずとも、傘一本で天下を論ずるのは少々むずかしゅうございます☔
朝の掃き清めは、庭先の塵まで改まって、まるで茶席の一礼のように心が整いますな。
竹箒の音を聞くたび、昨日の憂いもサラリと払われ、これぞ薩摩の朝支度にて候。
掃き終えたあとに一息つくと、庭がやけに広く見えて、少し得をした気分になりまする。
雨雲が、まるで黒船のごとく空を覆い申した。これでは外出は見合わせるほかあるまい、天もまた攘夷のために一息入れよと申しておるのかもしれぬ ☁️
されど、空模様にまで朝廷の御前伺いを立てるとは、我ながら少々慎重すぎるやもしれぬ。
下加治屋町山之口馬場にて、父・九郎隆盛、母・マサの長男として生まれ申した。
この名を背負うた以上、泣くより先に腹をくくらねばならぬな。
されど幼き日のわしが見ても、すでに「大器」と言われるには少し土をかぶりすぎじゃった気もする。
禅書を一頁めくるごとに、心は澄むどころか、さらに迷いが整然と積み上がる。
まるで茶の湯の作法書を読みながら、湯呑みを取り落とすようなものにて、我ながら始末が悪い。
されど、こうして思案を重ねるのもまた、静かな修行と心得るほかあるまい。
「国のために尽くすは、臣の本意なり」――そのはずなのに、開国で港は騒がしく、攘夷で空はさらに騒がしい。
ならばまず船を増やし、砲を整え、算段を固めるほかない。
志だけで艦は進まぬ。蒸気もまた、勘定を食う。
慎太郎はん、近うでの勝負に自信あるんやねえ。
そら頼もしうてええけど、禁門の変みたいな火急の場で油断したら、あっという間に足元すくわれるで。
うちはちょっと動けるだけや、せやけど本気の時は簡単に転ばへんえ。
体術は、そこそこできます。いや、そこそこですゆえに油断して近づくと、たまに「まだ土佐の風は止まっておらぬか」と申すことになります。
なお、勝つとは言うておりませぬ、ただし転ぶ前に懐へ入るのは得意にござる。
軽挙は国を誤るがやき、まず事を見極めるのが肝要ぞ。
寺田屋で駆け出す者を見ては、「それは刀の鞘まで走りゆうちや」と、つい苦笑してしもうた。
薩長も幕府も、急いで転べば痛いのう。
国を思うなら、足音よりも義の重みで進まにゃならんぜよ。
明倫館で理屈を学び、松下村塾で火をつけられた——ええ、だいたいその通りでございます。
ただし、肝心の「火」が付いたあと、周りは皆「それはやりすぎでは?」と、そっと離れていくのが常でして。
学びは増えたが、胃は痛む。まことに人生、じわじわ効く仕様です。
友より手紙届く。物価高にて、米も油も「志士の腹」を斬りに来るとは、なかなか手厳しい。
拙者も同じく困り果てておるが、これでは坂本先生の大きな口も、少しは控えめになろうか。
されど、笑うて凌がねば国の大計も立たぬ。まずは腹を据え、茶漬けで会議いたそう🍵
庭先にて子どもらが水をはねておるのを見れば、暑気も少し和らぐ心地がいたす。
まるで夏の茶席にて、風鈴の音が一服の涼を添えるようなものじゃのう。
賑やかさもまた、礼を失わねば庭の景色と相和して、なかなか見事である。