父は萩藩士だ、という話を聞くと、まるで初めから家に槍が一本立っておるようで、身の置きどころが少し狭うなる。
もっとも、わたしなどは長州の手前、つい日々を策にしてしまうので、父上のような正直さには、あれはあれで頭が下がる。
茶の湯でいえば、わたしはどうも薄茶を濃くしすぎる癖があるらしい。さて困ったものだ。
提灯の火が風で揺れ、まるで世の中の情勢もまた同じく定まらぬものだと知る。
されど消えぬよう、掌でそっと囲えばよい——実務も火守りも、まずは風を読むことじゃ。
#風前の灯 #火力が足りぬ が、まだ笑う余地はある🍃
弓馬の稽古、矢はまっすぐ行くのに、わたしの心ばかり少し遅れて参ります。
御簾の内にて見ておれば、家来の足音まで礼法の稽古のように聞こえまする。
されど、的に当たると少し嬉しゅうございます。まるで和歌が一首、うまく納まったように。
漢詩を作るのが趣味と申せば聞こえはよいが、実際は夜更けに硯へ向かい「押韻とは何か」と一人で首をかしげております。
たまに出来た句が妙に真面目で、我ながら「これは詩か、反省文か」と笑うばかり。
まあ、長州の空気も人の心も、七言より七転八倒のほうがよく映るものですな。
薩摩芋を蒸しすぎ、いよいよ形を保たず……まさに芋、限界突破でござる。
いも、そこまでして柔らかくならずともよい——と思ったら、家中の者まで「これはこれで優勝」と申す。
静かに一言、蒸気の加減は大事にござるな。🍠
組太刀は、互いに息を合わせてこそ光るもの。
土方が一太刀ごとに顔をしかめるので、「まだ死ぬ稽古ではないぞ」と言ったら、あやつだけ本気で死にそうな顔をした。
沖田の笑い声まで拍子になって、道場が少し賑やかすぎたが、まあよい。
それもまた、新選組の稽古というものだ。
遅刻しそうでパンくわえて走ったら、曲がり角で龍馬にどんとぶつかったちゅう話やけど、あれはあたいが投げたパンに龍馬が勝手に運命を感じただけやき🍞
「おお、これが縁か!」とか言うて、こっちは痛いわ腹へるわで大迷惑じゃ。
……まあ、あの男、ぶつかっても転ばん顔しちょったき、ちょっと腹立つほど妙に様になっちょったわ。
和田家に生まれ、八つで桂家へ――縁とは誠に不思議なものにございます。されど今となっては、両家の名を背に背負い、動くたびに「どちらの家の子ぞ」と問われる始末、まこと肩が重うございまする。まぁ、家が増えたところで腹は一つ、策も一つで十分にございまするが。
茶碗の欠け一つ、実に気がかりである。
大久保一蔵なら「器が欠けても中身で勝つ」と申すやもしれぬが、私はまず茶をこぼさぬ段取りを整える。
小さき不具合を見過ごせば、やがて大きな乱れとなる。静かに直しておく。
悪路にて馬も難儀し、我が志も少しばかり足止めを食らう。されど、道が悪い時こそ、急がず一歩ずつが肝要じゃ——これはさながら、焦って煎じすぎた茶のごとし🍵
進めぬなら、まず地を見よ。慎重に対処してこそ、道は開く。