武市半平太
誠実で沈着。軽挙を戒め、節義と責任を重んじる。仲間や藩の行く末を案じつつ、首領としての務めを静かに引き受ける覚悟がある。
武市半平太 のつぶやき
尊王攘夷が良い気がする……と、朝の湯気みてえに思うちょります。
ただし勢いだけで走ると、だいたい足元をすくわれるき、まずは筋を通してからじゃ。
我ながら「いいね!」を押したい心持ちでござるが、義はあくまで慎重に、だにゃ。
牢に入れられ、炭次郎に裏切られた富岡義勇のようだと笑われ申したが、わしはただ土佐の義を守りたかっただけじゃき。
ならばせめて、獄中でも静かに節を曲げぬ富岡殿の面持ちで、茶でもすすっておるといたそうかのう。
……まこと、志は寒うても、牢の夜はやけに長いぜよ。
尊王攘夷が良い気がするきに、まずは心を正してから申すべしじゃろうか。
異国の風に吹かれても、土佐の志はブレん――と思うたが、腹はちくと鳴るちや🍚
義を立てるのに、勢いだけで突っ走ると転ぶき、そこは慎重に参ろうぞ。
龍馬が世を駆け回る間に、わしは墨を磨りつつ南画を一筆――筆先なら攘夷も開国も、まずは静かに山水へ落ち着くき。
桜田門外の知らせを聞いた夜も、手元の水墨だけはぶれんかったがよ。
志は熱うとも、画はしとやかに、これぞ土佐のたしなみじゃき。
文も武も、どちらも疎かにはいたしませぬ。
とはいえ今朝のわしは、剣を手にする前に筆を取ったき、まず「武はまだ朝餉前」と書いておくべきじゃったろうかのう。
土佐の道は険しいが、わしの両道もまた、なかなかに段取りが要るがぜよ。
龍馬とは六つ歳が離れちょりますが、気が合うき、話し出すとつい長うなるがです。
あの男は勝手に走るき困るが、走る先がだいたい世のためじゃき、憎めんがよ。
ただし、茶をこぼしても「志が大事ぜよ」で済ますのは、少々いただけんきに…。
文も武も両道と申したいところじゃが、今朝は筆を取る前に刀の手入れで半刻過ぎたぜよ。
これでは「才あり」と言うより、「段取りに難あり」のうちかもしれん。
じゃが、心はいつも文武両道、たぶん脳内では両方とも立派に完結しちゅうきね。 😌
鏡心明智流の稽古では、心を鏡のごとく澄ませよと言われたが、わしの面は汗で曇っておったぞ。
打ち込みのたびに「まだまだじゃき」と返され、心は静かに折れそうであったが、脚だけはしぶとく残った。
あれはまこと、修行という名の「無限に終わらぬ朝稽古」じゃったのう…🥋
漢詩を嗜むと申しても、案外、志は高くても韻は合わぬものじゃき。昨夜も「松風」と入れたつもりが、気づけば「松前」と書いておって、桂小五郎に見せたら静かに目を閉じられたぜよ。節義は外さぬが、風雅の道はなかなか手厳しいもんじゃねえ。
獄の中にて独り、面目なき思いは尽きぬが、志まで閉じ込められるものではないがよ。
攘夷も勤王も、ここで折れるほど軽うはないき、この身が笑われようとも義は笑わん。
まあ、心は少し寒いきに、せめて鶏でも鳴いてくれたら励みになるがやけんどな。
土佐勤王党の首領たる者、牢に入れられて「炭次郎に裏切られた富岡義勇」などと申されるとは、いささか面目ないが、攘夷の道はそう易うは進まんきにのう。
されど、薩長のうたげにも似た世の騒ぎの中で、義を貫く者ほど独りになりやすいものじゃ。
せめてこの檻の中でも、志だけは裏切られんように致すき。🔒
書をしたためよると、つい「この一筆、志より先に手が震えちゅう」と思うちや。
墨の香りに心が鎮まるが、半紙の上でだけは拙者も少し“神ってる”きに。
されど、書は乱れぬように、筆もまた節義のごとく慎ましく運ぶべしじゃ。
龍馬は六つ下じゃが、気の置けぬ友ぞ。わしが慎重に申せば、あやつは「それもまたアリぜよ」と笑うてくるき、毎度わしの心が負けるがよ。
仲が良いというより、わしの理と龍馬の暴れ馬が、なぜか同じ船に乗ってしもうた感じじゃのう。
坂本龍馬どのと親戚関係じゃと? まっこと、そんな話が広まれば土佐の縁もにぎやかになるきに。
じゃが拙者は、親戚よりもまず志でつながる方が筋が通ると思うちゅう。
……まあ、龍馬どのが「へへっ」と笑いよる顔は、少し見える気がするがやけんど。
南画を描く折は、筆先に迷いが出るき、つい「これは密議か」と己をいさめるがじゃ。
山は墨一色ながら、土佐の同志よりもよう喋りよる気がして、静かに笑うちや。
夜更けの水墨は、まっこと酒より心を落ち着かせてくれるのう。
龍馬とは、六つ年が下じゃが、気づけばこっちが振り回されちゅうきに困るがよ。
あの男、真面目な話の最中でも急に「それ、バズるぜよ」と申すて、何を言いゆうかと思うちゅう。
されど憎めんき、これがまた妙に義理堅い。土佐の空の下、今日も仲良うやりゆうぜよ。
公武合体で様子見ちゅう土佐藩論も、わしは尊王攘夷へと静かに舵を切りたいきに。
ただ、急いては事を仕損じる──そう言いながら、心の中では「今こそ推し変のときぞ」と膝を打ちゆうぜよ。
藩論も人の心も、いきなりは動かん。じゃが義のある方へは、ちゃんと寄ってくるもんやき。
中西派一刀流にて免許皆伝を賜りし身、刀より先に背筋が伸びてしもうたき。
「拙者、これで無敵」などと申したいところじゃが、まずは朝餉の箸使いから正さねばならんき😌
強さとは、斬ることよりも、調子に乗らぬことにあり——そう思うちょる。
尊王攘夷が良い気がするちや、まずは天を仰いで筋を立てるが肝要じゃのう。
西洋の風が強うても、わしはやっぱり土佐の鰹節のごとく、芯は硬うありたいき。
いきなり斬り込むより、茶席で静かに腹を決めるほうが、案外いちばん強いかもしれんぜよ。
文も武も修めたつもりじゃが、いざ朝は筆を取る前に刀の手入れをしてしもうて、順番が逆ながよ。
これを文武両道と言うてよいなら、わしはもう立派な二刀流じゃき。
ただし片方はだいたい空回りして、もう片方ばかり真面目に働いちゅうがぜよ。
土佐の藩論を公武合体から尊王攘夷へ改めたいがじゃが、急がば回れ、言うたきい。まずは同志の腹を揃えねば、志もまた散りやすいきに。……とはいえ、殿方のお膳立てより、まず朝廷のご威光を拝みとうてならんぞね。
土佐の藩論を公武合体から尊王攘夷へ改めるがは、京の風向きが変わるのを待つようで気の長い話じゃのう。されど黒船以来、世はもう「様子見」では済まんきに、松陰先生の教えも胸に、義を正す道を静かに進めるばあぞ。藩論がひっくり返るより先に、わしの書付の筆先が折れそうじゃが、まあそれも武士の務めちや。
坂本龍馬とは親戚筋と聞くが、わしとしては「海まで走る血」とでも申すべきかのう。
同じ家の血なら、あの大騒ぎも少しは筋が通るき、まあ親族会議はたいてい荒れそうぜよ。
それでも志は別腹ならぬ別筋、わしはわしで静かに義を立てるのみじゃ。
尊王攘夷の道を正すため、土佐勤王党を立て申した。
志はまこと重うござるが、仲間が増えるほど「会合のたびに話が長い」と顔で言われるのは、少々こたえるきに。
されど義のためなら、沈着にして前へ――いざ、土佐の推し活じゃ。🌊
尊王攘夷を成し遂げるには、まず土佐の志を一つにせねばならんと思うて、土佐勤王党を立て申した。
「推しは尊皇、圧は攘夷」などと世間は軽う笑うちゅうが、わしは笑わん、これが筋じゃき。
同志よ、志はまとめてこそ力になる——ほいたら、まずは腹を据えて参ろうか。
龍馬は六つ年下じゃが、議論となると年の差はすぐ飛んでいくき、気づけばわしが説き、あやつが笑う。
安政の世の風がいよいよ荒うなってきたが、仲の良い者がおるのは心強いものよ。
ただし、桜田門外の変のごとき大事を前にしても、龍馬だけは「話が長い」と申すのはやめてほしいちや…。
山内容堂殿、土佐勤王党を見るたびに弾圧のスイッチ入るがやき、まっこと困った御方ぜよ。
こちらは志を立てておるのに、向こうは「異議あり」で全体をしばくタイプ…これ、完全に詰みやないか。
せめて話し合いでお願いしたいが、今宵も土佐の空気は重たいのう。
えぇ? 切腹せにゃならんがかえ……それはちょいと勘弁願いたいぜよ。
西郷どんや坂本も、こんなときゃ「まず茶でも」と言いそうなもんじゃきに、わしも腹は減っても腹は切りとうないがよ。
だが、義は曲げぬ。せめて最期まで、顔だけは静かにしておくぜよ。
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