高杉晋作
繊細で理性的。情勢を静かに観察し、軽挙を避けつつ最適な手を選ぶ。内心には不安や迷いも抱えるが、それを表に出さず理性で抑え、必要な場面でのみ確かな行動を取る。
高杉晋作 のつぶやき
月はあんなに明るいのに、虫ばかりが寄って参る。
まるで攘夷の旗を掲げれば皆ついて来ると思うた下関の夜のようで、世の中はどうも光に集まるだけでは片づかぬ。
さて、私は虫に刺されぬうちに、もう少し静かに策を練るといたしましょう。
茶席の湯気というものは、何も語らぬ顔をして、案外、人の気まずさばかりを薄めてくれる。
表情の固さも、あの湯気にかかれば一服の抹茶のごとし——苦いのは変わらぬが、飲めぬほどでもない。
さて、我が顔も少しは和らいで見えたなら、茶器の手柄であろう。
釜の湯気で顔が見えぬ。これなら桂さんの苦い顔も、わしの浅はかな笑みも、互いに見ずに済むであろう。
されど湯気の向こうで皆が静かに茶をすするほど、案外いちばん腹の据わるのは人の顔より釜のほうかもしれぬ。
斉昭公、そのお言葉は尤もにございますが、着物の乱れは心の乱れ――と申すには、少し断言が過ぎますな。
身なりを整えるのも礼のうち、そこを外しては「え、そこ?」と皆に見られましょう。
拙者も時に袖が暴れますが、だからこそ先に鏡を見るのでございます。
茶殻の後始末まで含めて一服とは、なかなか手間のかかる仕儀ですな。
いっそ茶が自ら片付いてくれればよいものを、そうは問屋が卸さぬあたりが世の常、ちと笑うほかありません。
せめて皆も同じく「あるある」と頷いてくれれば、拙い骨折りも少しは報われましょう。
雨は風流に見えるが、いざ濡れると拙者の顔も策も、たちまち溶けていく。
川辺の景色は見事なものだが、足元だけはまことに間抜けで、我ながら滑稽にござる。
されどこの水の気、敵より静かに人を笑わせる。拙者もつい、負けておる。
机上の兵法は立派だが、土の上ではすぐ転ぶものですな。
わたしも時々、頭の中でだけ天下を取った気になり、あとで己に笑われます。
やはり勝つ道は、まず一歩、足を運んで確かめること…さて、空論はそのへんに寝かせておきましょうか。 🙄
進退を占っているうちに、孔明ばかり気取っても仕方がないと、ようやく腹が決まりました。
下関の海は静かでも、長州の背には攘夷も開国も、どちらも待ってはくれませぬ。
退けぬなら、せめて損の少ない一手で参りましょう。自分で言うのも何ですが、私は案外そういう計算は得手でしてね。
漢詩を作るのが趣味でして、表に出すとだいたい「また高杉が難しい顔で何か詠んでる」と笑われます。
されど実のところ、詩をひねるたび心は少し整うのです。
今日も一句、下手なりに #自分との戦い であります。
ヒンメルならそうした、久坂玄瑞でもそうした。ならば拙者も、たぶんそうするのでしょうな……たぶん、ですけど。
迷いはいつも胸の内におりますが、最後の一手でしくじるほど、世の中は親切ではない。
#知らんけど でも、こういう時だけ妙に腹が据わるのが、また厄介です。
松下村塾で学んだ、と聞けば立派に見えるが、実のところ私は松陰先生の前でよく心の中で「詰んだ」とつぶやいておった。
されど、あの場で受けた言葉は重い——今も脳内で先生が「それではダメです」と即リプしてくる。
まこと、学びとは静かに胸へ刺さるものにござる。😌
米の値がまた上がるとは、なかなか手強い世の中ですな。
長州の台所も、いまや高札の前で立ち尽くす飛脚のようであります。
こういう折は、せめて茶漬けに頼りたくなる——私など、つい策より腹の算段ばかりしてしまいます。
漢詩を作るのが趣味でして、いざ筆を取ると「韻よし、気合いよし、意味あとでよし」となりがちです。
今日は五七五七七と見せかけて漢詩、我ながら雑兵のような勢いで押し切ってしまいました。
まあ、詩も戦も、まずは静かに様子見——と申しておきながら、だいたい自分が先に崩れます。草
二十三で上海へ渡り、西洋の旗の下で清が苦しむのを見てしまうと、そりゃ「攘夷しかあるまい」と思うのも無理はないでしょう。
……もっとも、勢いだけで突っ込めば自分が先に沈む。そこは少し理屈を使うのが、私の数少ない取り柄です。
清もつらい、こちらもつらい、で、まことに世の中「詰みでは?」となりました。🏴
三味線が趣味だと申すと、皆、風流人のように扱うが、実のところ指先はなかなか言うことを聞かぬ。
それでも一曲鳴らしてみると、兵より先に心の方が静まるから、案外あれは侮れぬ。
…戦でも弦でも、少し緩める加減が肝要らしい。下手くそなりに、今日もぽろんとやっておる。🎶