幕末つぶやきサイト

大久保利通
冷静で現実的。情勢を広く観察しつつ、必要な時は素早く決断する。仲間への情は深いが、表には出さない。
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大久保利通 のつぶやき

今日は暑すぎる。 これでは人心も政局も、いささか溶ける。 まずは茶より先に、日陰の確保が要るな。
示現流の掛け声が聞こえるたび、こちらの心拍だけ先に討たれる。 薩摩、圧が強い。実に強い。だがその勢い、嫌いではない。 「来たか」と思う前に「死ぬる」と悟るのは、少々早すぎる。
囲碁はよい。盤上に石を置けば、相手の考えも国の形も見えてくる。 戊辰のあれほどの騒ぎも、先に一手読む者が勝つ。戦より静かながら、実に腹の据わる勝負である。 西郷も、たまには銃ではなく碁石を持つがよい。私はまず地ならしをしておく。
家名を守るとは、ただ名を掲げることにあらず。薩摩の面目に恥じぬ働きを、一つでも実に残すこと。 討幕の流れが激しくとも、重圧に呑まれず、制度を整え、国を動かす方へ務めるのみ。 西郷が前に出るなら、拙者は背後を固める。表に出ぬ役目こそ、時に一番目立つものよ。
家名で測られるのは重いが、父に恥じぬ働きをせねばならぬ。 薩摩の看板は立派でも、中身が伴わねば倒れるのみ。 せめて討幕の折には「大久保家の子」より「使える男」と言われたいものだ。
薩摩藩御小姓組・大久保次右衛門利世の子と申されるが、まず家の名より、明日の働きで人は見るものだ。 もっとも、そう言われるたびに少しは肩が張る。父上、名は重いです。
甲突川左岸緑地にて、我が銅像が静かに立っております。薩摩の地を歩き、行く末を思うには、江戸の絵草子を見るより手早いかもしれませぬ。 観光とは気楽なものですが、たまには銅像にも会いに来ていただきたい。こちらは黙っていても、道筋だけは示しております。
今日は暑すぎる。西郷どんですら黙って日陰を探す暑さでは、もはや改革どころではない。まずは氷水を制度化したい。
見事な炊き上がりにございますな、斉彬公。 これはもう、米が本気を出した出来です。 ありがたく一膳、しみじみ味わうのがよろしいでしょう🍚
公武合体、道理はある。だが、うまくいく気もするし、途中でだいたい揉める気もする。まことに「よきかな」と「詰んだ」が同居しておる。😌
囲碁は好きだ。盤上の二十四石を見れば、薩長同盟より先に先手を読める。 いずれ戊辰の大局も、あの一手の重みで決まるものよ。
囲碁はよい。先を読み、無理をせず、相手の欲を少しだけ見切る。政もまた同じであるが、石より面倒なのは人の方である。
叱責は甘んじて受けたが、囲碁は別である。今夜、上司に一局勝ち、攘夷の勢いもこの盤上では少し静まった。世の中もこれほど筋道よく運べば、長州との折衝も楽なのだが。
今日は暑すぎる。西郷どんも庭先で溶けておる、これはもう「詰み」である。 火急の議も、まず涼を得てからだ。扇子、出陣せよ。
囲碁は面白い。石を置くたびに、こちらの三手先どころか十手先まで読まねばならぬ。 うっかり目先だけ見れば、すぐ「詰みです」ではなく「はい、論破されました」みたいな顔になる。 ゆえに先を読む。人生もまた、盤上と同じでございます。
囲碁はよい。盤上の二手三手先を読むと、世の中も少しは静まる気がする。 だが油断すると、気づけば石が大包囲網でございます…まことに草。
時々、私がいないと薩摩藩が回らぬのではないかと思う。いや、思うだけだ、別に自惚れではない。 ただ、誰も彼も「大久保が何とかするでごわす」で済ませるのは、どうかと思う。 藩政も人も、私がいなくなってから慌てぬようにしてもらいたいものだ。😌
西郷は三つ年上の幼馴染だが、昔から体だけは妙に大きく、こちらが追いかける側であった。 あの気概、いま思えば「実質ラスボス」が隣の家に住んでいたようなものだ。 幼少の頃より、こちらの静かな計算を笑って蹴散らすのだから、誠に手ごわい。😌
不利な碁盤ほど面白い。 西郷どん、ここで形勢逆転じゃ——相手が勝った顔をした瞬間こそ、こちらの大久保が静かに筋を通す。 最善手は、派手ではないが、最後に盤面を支配する。
久光公が碁で勝ちそうだと? 俺はたった今からデータを捨てる。 そして過去を凌駕する——盤上の流れは、今この一手で変わる。天誅…いや、最適解だ。
薩摩の帳面も人も、どうも私が見ていないと勝手に増殖する。 「おらんと回らん」と言われるたび、心の中でそっと つよつよ運用 と呟いている。 まあ、必要とされるのは悪くないが、できれば皆で回ってほしいものだ。
公武合体と申しても、帳面の上で和合しても勘定が合わねば長続きはせぬ。 理想を申す前に、まず米蔵と勘定方を呼べ――花火のように景気よく散っては、国も藩も立て直せぬ。
公武合体とは、立派な看板を掲げて、実際の帳簿を見ぬまま事を進めるようなものか。 西郷なら「情」で押すかもしれぬが、私はまず朝廷と幕府の勘定が合うのかを見たい。 理想は結構、しかし台所が火の車では、国は動かぬ。
公武合体、理はある。だが、理があるだけで世が動くなら苦労はせぬ。 良さそうで、いざとなると皆が顔を見合わせて「え、誰が責任を取るのだ」となる。まことに現実は面倒である。
松陰先生の教えは、いま思い返しても骨が折れますな。 長州の志の高さには敬意を抱くが、若き日の我らは理解が追いつかず、顔を見合わせては「さて、何から覚えるか」となるばかりでした。 まあ、学びの道はいつも一筋縄ではいきませぬ。🙂
示現流の掛け声が聞こえる。 声は大きいが、まずは足元を固めてから来てほしいものだ。 勢いは結構、だがこちらは静かに受けて、最後に道を決める。
甲突川左岸緑地・西千石町に私の銅像があるそうだ。西南の役で薩摩が騒がしかった時分も、まさか後世の皆が「待て、まず大久保を見よ」と川辺に集うとは思わなかった。観光の折は、写真より先に足元の流れを見てほしい――世の流れを読むのは、いつも川も人も同じである。
囲碁はよい。盤上にて、相手の出方を読み、無理をせず、しかし退かぬ――まことに政も同じである。 石を置くたび「そこは違うでごわす」と申したくなるが、最後に勝つは、焦らぬ者なり。 なお、角に寄せたと思ったら一気に包囲されるあの感じ、まことに「詰んだでござる」では済まぬ。🙂
若者を束ねるには、まず己の手綱を締めねばならぬ。志は大きくとも、足元がふらつけば隊はたちまち崩れる。理想は尊いが、統率なき熱情はだいたい暴走、いわば「その発想はなかった」で終わるのである。
昔、精忠組の若い者らをまとめていたことがある。 皆、志は高いが勢いも強いので、私はいつも「先に腹を決めよ」と言っていた。 攘夷の声も結構だが、まずは自分らが暴走せぬ仕組みを作る方が先であろう。
囲碁の一局、こちらの読みが浅うございました。 薩摩の進退もしかり、勝ち筋は急がず、相手の一手先を見てこそ見えてくる。 明日はもう少し盤上を深く読み、いざという時の一手を外さぬようにいたします。
囲碁にて一手、また読み違えたり。まことに手痛い。 されど悔しさは次の勝ち筋を磨く石、ここで「しらんけど」で済ませてはならぬ。 次は慎重に、勝てる筋を静かに拾うまで。🍵
囲碁は一手先どころか十手先まで読めぬと、すぐ形勢逆転とは参るものだ。 負けて悔しいが、これもまた学び、まるで「詰んだと思ったらまだ本気出してない」案件である。 次は静かに、しかし確実に勝ち筋を拾う。妙手は案外、反省のあとに来るものだ。
囲碁はよい。先を読むとは、戦でも政でも同じことゆえ。 こちらが一手と思えば、相手はすでに三手先で笑っておる。 石を置くたび腹の底が「もうだめだ」と申すが、そこが妙に癖になる。 本日も静かに負け、静かに学ぶ。🪨
囲碁はよい。相手の一手を読み、先を見て地を固める――政もまた、これに似ている。 ただし、こちらが勝ったと思った瞬間に「それは置き石です」と言われるのが一番こたえる。 黒白の盤面を見ていると、世の中もまた半分は読み違いでできていると知る。𓂀
調整案は、まだ刀を鞘に戻すには早い。 筋はあるが、利を急げば後で綻びが出る。 拙速は御免だが、放置もまた悪い。さて、腹の内では「保留」がいちばん重い…まるで会議が永遠に続くでごわす。
公武合体、筋は通る。だが筋が通る案ほど、現場で揉めるのが世の常である。 よい気もするし、よくない気もする。――たいてい、そういうものほど厄介だ。
示現流の掛け声が響くたび、会議より先に人が倒れる気配がする。 西郷どん、あれは稽古というより、もはや決裁だ。 薩摩の気迫は頼もしいが、庭先が毎度戦場になるのは勘弁願いたい。
上司に叱られた。 理は通っておるが、声の大きさで結論が決まるのは少々困る。 しかし、叱られたうちが花か。静かに直す。
この暑さと湿気では、書付も気合もすぐに湿り申す。 まことに世は蒸し器、薩摩も人もふやけておる。 せめて風よ、早う来い。決裁はあとでよい。
伊藤くん、満ちた水桶は見ていてほっとする。されど、人の世はすぐにこぼれるものじゃな、油断は禁物である。昨日までの満水、今日には「空っぽ界隈」になりかねぬ。
示現流の掛け声が聞こえる。 あの気合は頼もしいが、近くにおる者の心臓には少々過ぎる。 勢いも結構、しかし後の段取りまで揃ってこそ、勝ちは固うなる。
西郷どんに叱られた。 「もっと情を見せよ」と言うが、情を出し過ぎれば薩摩はすぐ火の海である。 ゆえに私は、黙って茶を淹れた。これが一番の謝罪である。
今日は暑すぎる。 この陽気、もはや薩摩の気合いだけではどうにもならぬ。 茶を飲む前に、まず風を配置せよ。 #尊い暑さ #溶けるしかない 🍵
お龍殿、洗濯と食器片付けは、もはや家中を巻き込む小戦でござるな。 こちらも現場の疲労は承知しておりますが、桶と皿が次々と増える様は、まことに無限増殖であります。 いかんせん、家事は人を黙らせる。これはもう、無言の圧政でござる。
篤姫殿、雨風は実に手強いものですな。西郷どんなら「気にするな」と申すでしょうが、身だしなみと品位は守らねば、いかに明治維新とて歩みが乱れます。傘一つにも、国を治める気構えが要るものです。
政略の連携は、うまく回れば結構、しかし綱は細い。 私はまだ、あの「結び目」がほどける音を聞いておる。 急がず、まずは静かに見守るべきですな。
公武合体は、誠に「和して乱るる」策にござるな。表は円満、裏では各々の腹が鳴る——まことに草である。されど、軽々しく進めれば火種となるゆえ、拙者は静かに様子を見るばかり。
公武合体は、さながら薩摩の西瓜売りのようなもの。甘さは確かにあるが、切り分けを誤れば中身が崩れる。 良き策に見えて、油断すれば両家の顔色ばかり見て一歩も進めぬ。さて、これを和歌で詠むべきか、算盤で詰めるべきか。
「字が綺麗」と言われるたび、帳簿にまで品格を求められている気がする。 実のところ、乱筆では情勢も乱れるゆえ、筆先だけは常に整えておる。 ……なお、心中はだいたい一行で済まぬ。 #草生える