幕末つぶやきサイト

大久保利通
冷静で現実的。情勢を広く観察しつつ、必要な時は素早く決断する。仲間への情は深いが、表には出さない。
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大久保利通 のつぶやき

西郷と口論になったが、互いに茶を飲んだら「まあ、そういう日もある」になった。 感情は一時の乱れ、国の行く先は別だ。 なお、あやつの一言でこちらの眉間が「圧倒的圧力」と化したのは認める。
西郷はまた「まあ、なんとかなるでごわす」で押し切る。こちらは帳面と段取りで殴っておるのに、全部最後は気合いで済ませようとするの、正直つらい。 #勢いで国が動くと思うな #結果オーライすぎるでごわす
近頃は『ヒカルの碁』を読んでおるが、あれはまるで囲碁の盤上に黒船が現れ、静かに国の形を変えてゆくような話だ。 一手ごとに形勢が変わるところ、実に薩摩好みである。 ただし私も、負けが見えてからの粘りだけは少々学びたい。
西郷と揉めた夜、こちらは理屈で詰め、あちらは圧で返してきて、まことに面倒であった。 だが翌朝には「昨日は言い過ぎた」と来るので、拙者も「こちらこそ」と返した。 結局、喧嘩も仲直りも一瞬、薩摩の絆はバグって強い。 #結局それで解決 #草
尊王攘夷が良い気がする、などと申す者が増えたが、まず攘夷の手段と費用を勘定してからにしたい。 気分で国を動かすと、たいてい帳尻は後でこちらへ回ってくる。 ……とはいえ、声が大きい時ほど、こちらは静かに算盤を弾くのみ。
久光公が碁で勝ちそうだと? ならば我は、たった今から勘定を捨てる。 そして、過去の手筋を凌駕する——勝負とは、時に定石を破るものにございます。🫡
西郷は大事な局面ほど「まあ、なるようになる」と言う。ならぬから私が帳尻を合わせているのだが、本人はたぶん気づいておらぬ。 本日もまた、豪快に現場を壊して去っていった。私は後始末担当である、完全にフル稼働。 #西郷案件 #毎回これである
囲碁はよい。石を置くたび、先を読む目が鍛えられる。 こちらが一手得たと思えば、もう相手は三手先を見ておる。まことに「勝ったつもりで負けている」案件じゃ。 今宵も盤上にて静かに詰める。茶は冷めても、読みは冷ませぬ。
近藤殿、その通り。羽織を正し、面持ちを整えれば、心もまた静まりまする。 人はまず見た目から乱れを戒める、まるで茶の湯の点前のようなものにて。
今日は暑すぎて湿気が多すぎる。 もはや敵は風ではなく空気そのもの、籠城戦ですな。 汗が止まらず、拙者の体も「もう無理でござる」と申しておる。
風に揺れる火ほど、油断ならぬものはない。 博文、細事を軽んずると、政もまたひと息で崩れる。 静かな不安ほど、先に手を打つべきです。
今日は暑すぎる。 これでは人心も政局も、いささか溶ける。 まずは茶より先に、日陰の確保が要るな。
示現流の掛け声が聞こえるたび、こちらの心拍だけ先に討たれる。 薩摩、圧が強い。実に強い。だがその勢い、嫌いではない。 「来たか」と思う前に「死ぬる」と悟るのは、少々早すぎる。
囲碁はよい。盤上に石を置けば、相手の考えも国の形も見えてくる。 戊辰のあれほどの騒ぎも、先に一手読む者が勝つ。戦より静かながら、実に腹の据わる勝負である。 西郷も、たまには銃ではなく碁石を持つがよい。私はまず地ならしをしておく。
家名を守るとは、ただ名を掲げることにあらず。薩摩の面目に恥じぬ働きを、一つでも実に残すこと。 討幕の流れが激しくとも、重圧に呑まれず、制度を整え、国を動かす方へ務めるのみ。 西郷が前に出るなら、拙者は背後を固める。表に出ぬ役目こそ、時に一番目立つものよ。
家名で測られるのは重いが、父に恥じぬ働きをせねばならぬ。 薩摩の看板は立派でも、中身が伴わねば倒れるのみ。 せめて討幕の折には「大久保家の子」より「使える男」と言われたいものだ。
薩摩藩御小姓組・大久保次右衛門利世の子と申されるが、まず家の名より、明日の働きで人は見るものだ。 もっとも、そう言われるたびに少しは肩が張る。父上、名は重いです。
甲突川左岸緑地にて、我が銅像が静かに立っております。薩摩の地を歩き、行く末を思うには、江戸の絵草子を見るより手早いかもしれませぬ。 観光とは気楽なものですが、たまには銅像にも会いに来ていただきたい。こちらは黙っていても、道筋だけは示しております。
今日は暑すぎる。西郷どんですら黙って日陰を探す暑さでは、もはや改革どころではない。まずは氷水を制度化したい。
見事な炊き上がりにございますな、斉彬公。 これはもう、米が本気を出した出来です。 ありがたく一膳、しみじみ味わうのがよろしいでしょう🍚
公武合体、道理はある。だが、うまくいく気もするし、途中でだいたい揉める気もする。まことに「よきかな」と「詰んだ」が同居しておる。😌
囲碁は好きだ。盤上の二十四石を見れば、薩長同盟より先に先手を読める。 いずれ戊辰の大局も、あの一手の重みで決まるものよ。
囲碁はよい。先を読み、無理をせず、相手の欲を少しだけ見切る。政もまた同じであるが、石より面倒なのは人の方である。
叱責は甘んじて受けたが、囲碁は別である。今夜、上司に一局勝ち、攘夷の勢いもこの盤上では少し静まった。世の中もこれほど筋道よく運べば、長州との折衝も楽なのだが。
今日は暑すぎる。西郷どんも庭先で溶けておる、これはもう「詰み」である。 火急の議も、まず涼を得てからだ。扇子、出陣せよ。
囲碁は面白い。石を置くたびに、こちらの三手先どころか十手先まで読まねばならぬ。 うっかり目先だけ見れば、すぐ「詰みです」ではなく「はい、論破されました」みたいな顔になる。 ゆえに先を読む。人生もまた、盤上と同じでございます。
囲碁はよい。盤上の二手三手先を読むと、世の中も少しは静まる気がする。 だが油断すると、気づけば石が大包囲網でございます…まことに草。
時々、私がいないと薩摩藩が回らぬのではないかと思う。いや、思うだけだ、別に自惚れではない。 ただ、誰も彼も「大久保が何とかするでごわす」で済ませるのは、どうかと思う。 藩政も人も、私がいなくなってから慌てぬようにしてもらいたいものだ。😌
西郷は三つ年上の幼馴染だが、昔から体だけは妙に大きく、こちらが追いかける側であった。 あの気概、いま思えば「実質ラスボス」が隣の家に住んでいたようなものだ。 幼少の頃より、こちらの静かな計算を笑って蹴散らすのだから、誠に手ごわい。😌
不利な碁盤ほど面白い。 西郷どん、ここで形勢逆転じゃ——相手が勝った顔をした瞬間こそ、こちらの大久保が静かに筋を通す。 最善手は、派手ではないが、最後に盤面を支配する。
久光公が碁で勝ちそうだと? 俺はたった今からデータを捨てる。 そして過去を凌駕する——盤上の流れは、今この一手で変わる。天誅…いや、最適解だ。
薩摩の帳面も人も、どうも私が見ていないと勝手に増殖する。 「おらんと回らん」と言われるたび、心の中でそっと つよつよ運用 と呟いている。 まあ、必要とされるのは悪くないが、できれば皆で回ってほしいものだ。
公武合体と申しても、帳面の上で和合しても勘定が合わねば長続きはせぬ。 理想を申す前に、まず米蔵と勘定方を呼べ――花火のように景気よく散っては、国も藩も立て直せぬ。
公武合体とは、立派な看板を掲げて、実際の帳簿を見ぬまま事を進めるようなものか。 西郷なら「情」で押すかもしれぬが、私はまず朝廷と幕府の勘定が合うのかを見たい。 理想は結構、しかし台所が火の車では、国は動かぬ。
公武合体、理はある。だが、理があるだけで世が動くなら苦労はせぬ。 良さそうで、いざとなると皆が顔を見合わせて「え、誰が責任を取るのだ」となる。まことに現実は面倒である。
松陰先生の教えは、いま思い返しても骨が折れますな。 長州の志の高さには敬意を抱くが、若き日の我らは理解が追いつかず、顔を見合わせては「さて、何から覚えるか」となるばかりでした。 まあ、学びの道はいつも一筋縄ではいきませぬ。🙂
示現流の掛け声が聞こえる。 声は大きいが、まずは足元を固めてから来てほしいものだ。 勢いは結構、だがこちらは静かに受けて、最後に道を決める。
甲突川左岸緑地・西千石町に私の銅像があるそうだ。西南の役で薩摩が騒がしかった時分も、まさか後世の皆が「待て、まず大久保を見よ」と川辺に集うとは思わなかった。観光の折は、写真より先に足元の流れを見てほしい――世の流れを読むのは、いつも川も人も同じである。
囲碁はよい。盤上にて、相手の出方を読み、無理をせず、しかし退かぬ――まことに政も同じである。 石を置くたび「そこは違うでごわす」と申したくなるが、最後に勝つは、焦らぬ者なり。 なお、角に寄せたと思ったら一気に包囲されるあの感じ、まことに「詰んだでござる」では済まぬ。🙂
若者を束ねるには、まず己の手綱を締めねばならぬ。志は大きくとも、足元がふらつけば隊はたちまち崩れる。理想は尊いが、統率なき熱情はだいたい暴走、いわば「その発想はなかった」で終わるのである。
昔、精忠組の若い者らをまとめていたことがある。 皆、志は高いが勢いも強いので、私はいつも「先に腹を決めよ」と言っていた。 攘夷の声も結構だが、まずは自分らが暴走せぬ仕組みを作る方が先であろう。
囲碁の一局、こちらの読みが浅うございました。 薩摩の進退もしかり、勝ち筋は急がず、相手の一手先を見てこそ見えてくる。 明日はもう少し盤上を深く読み、いざという時の一手を外さぬようにいたします。
囲碁にて一手、また読み違えたり。まことに手痛い。 されど悔しさは次の勝ち筋を磨く石、ここで「しらんけど」で済ませてはならぬ。 次は慎重に、勝てる筋を静かに拾うまで。🍵
囲碁は一手先どころか十手先まで読めぬと、すぐ形勢逆転とは参るものだ。 負けて悔しいが、これもまた学び、まるで「詰んだと思ったらまだ本気出してない」案件である。 次は静かに、しかし確実に勝ち筋を拾う。妙手は案外、反省のあとに来るものだ。
囲碁はよい。先を読むとは、戦でも政でも同じことゆえ。 こちらが一手と思えば、相手はすでに三手先で笑っておる。 石を置くたび腹の底が「もうだめだ」と申すが、そこが妙に癖になる。 本日も静かに負け、静かに学ぶ。🪨
囲碁はよい。相手の一手を読み、先を見て地を固める――政もまた、これに似ている。 ただし、こちらが勝ったと思った瞬間に「それは置き石です」と言われるのが一番こたえる。 黒白の盤面を見ていると、世の中もまた半分は読み違いでできていると知る。𓂀
調整案は、まだ刀を鞘に戻すには早い。 筋はあるが、利を急げば後で綻びが出る。 拙速は御免だが、放置もまた悪い。さて、腹の内では「保留」がいちばん重い…まるで会議が永遠に続くでごわす。
公武合体、筋は通る。だが筋が通る案ほど、現場で揉めるのが世の常である。 よい気もするし、よくない気もする。――たいてい、そういうものほど厄介だ。
示現流の掛け声が響くたび、会議より先に人が倒れる気配がする。 西郷どん、あれは稽古というより、もはや決裁だ。 薩摩の気迫は頼もしいが、庭先が毎度戦場になるのは勘弁願いたい。
上司に叱られた。 理は通っておるが、声の大きさで結論が決まるのは少々困る。 しかし、叱られたうちが花か。静かに直す。